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ある経営者の急逝

 このメルマガにたびたび登場する原田則夫氏が12月12日に急逝された.
12月いっぱいで引退し日本に帰る予定であった.さぞかし無念であったろうと思うが,穏やかな死に顔で旅立たれた.

一晩原田師の棺に付き添い考えてみた.
きっと彼はすべてのことを成し遂げ満足感のうちに逝かれたのだと思う.倒産寸前のSOLID社を超優良工場に再生されたのも大きな業績だが,本当の成果は「原田式経営哲学」を通して育てた人財だ.

中国に来られて16年,「原田式経営哲学」により育成,啓蒙された中国人,日本人は4万人に達する.

SOLIDの職員や,以前の会社の部下たちを見ていて,これらの人財を残す仕掛けと仕組みが「原田式経営哲学」の本質だと実感する.

これらの原田チルドレンたちは,これからそれぞれの場で活躍し中国の発展を担う優秀な人財を輩出し続けるだろう.

下の経営者は金を残す.
並の経営者は金儲けの仕組みを残す.
上の経営者は人財を残す.

多くの経営者が「下」と「並」の間をウロウロしているのではないだろうか.

原田師の経営理念は

「素質の高い人を集め仕事を通して人を育て高効率・高品質・高報酬を目標に明るく自由闊達な環境下でお互いが感謝の心を持ち夢と自主性に満ちた理想工場を作る」

である.

私も「原田経営哲学」を受け継ぐ者として「理想工場」の実現を目指してゆこうと決意している.


このコラムは、2009年12月21日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第131号に掲載した記事に加筆したものです。

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リーダの育て方,工場の育て方

 先週の雑感「ある工場経営者の引退」について,読者様からメッセージをいただいた.

※G様のメッセージ
 「リーダーは育てられたが,工場は育てられなかった」
 この主題、理解できます。

インドネシアに工場を立ち上げた時は,すばらしい工場を立ち上げられたと自負していた.当初鍛え上げた作業員たちは,改善意欲が高く,「不適合」に敏感な立派なリーダに育った.

当時は生産委託先で問題があるたびに「インドネシア工場を見習え」と発破をかけていた.実際にインドネシアまで工場見学に行かせたこともある.

しかし「継続」ができて初めて工場を育てたといえるだろう.
優秀なリーダがやめてゆくたびに少しずつ工場の力は落ちていった.リーダたちは自らのキャリアアップのために,どんどん転職してゆく.当時はリーダの離職をどうしたら止められるかと考えていた.

しかし解決方法はそこにはなかった.

育てたリーダの能力(暗黙智)を組織の形式智に置き換える.組織の形式智を次々と新しいリーダに受け継がせるための仕組みと仕掛けを導入しなければならない.そしてその仕組みと仕掛けがうまく回る企業文化を構築する.それができて初めて「継続する」という課題が解決できる.

5年前に原田氏に出会ってそれが分かった.
前職時代にこれが分かっていれば,きっとインドネシア工場の経営をさせてくれと上司に願い出ていたと思う.

初めて原田氏の工場を訪問した日の夜,ホテルに戻り長文のメールを元同僚に送った.
現在インドネシア工場は,より高付加価値・高品質の製品を生産し,日本の工場に供給している.元同僚たちが立派にインドネシア工場を再生してくれた.


このコラムは、2009年12月14日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第130号に掲載した記事に加筆したものです。

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ある工場経営者の引退

 私には中国工場経営者として尊敬している方がある.
このメルマガにもどきどき登場するSOLID社の原田則夫氏である.その原田氏が今年いっぱいで引退し日本に帰られることになった.

2005年1月に初めて工場を訪問して以来,何度か工場を再訪している.そのたびに新しい気付きがあり,自分なりに「原田式経営哲学」を勉強してきた.自ら考えることを自分に課すために,極力工場訪問は控えていた.

しかし,私の気付きの宝庫「ワンダーランド原田SOLID」が後僅かでなくなってしまうと分かると,居ても立ってもいられなくなり最近は毎週のように工場に訪問している.

初めて原田氏と出会ったとき,私には大きな悩みがあった.
前職時代に自社の生産工場をインドネシアに立ち上げた.このとき仲間と一緒に立ち上げをサポートし大変すばらしい工場を作ることができた.自分にとって自慢の工場だった.
しかし時が経ち,一人,二人と当初育てたリーダが辞めて行くごとに工場の力が落ちていった.
当時の悩みは「我々にはリーダーは育てられたが,工場は育てられなかった」ということだった.

そんな折,原田氏の講演を日本で聞き,すぐに中国の工場を訪問した.
そこには私の悩みの答えがすべてあった.

先週も工場を訪問してきた.
いまだに訪問のたびに手帳にメモが増える.
「原田式経営哲学」を受け継ぐ者として,少しでも多くを頭の奥に焼き付けたいと思っている.

このメールマガジン配信後の12月12日に原田師の訃報を聞くことになるとは、想像すら出来なかった。
師匠の帰国後身近に教えを請うことができなくなると言う焦りがあったと思う。しかし現実はもう教えを請うことはできない。


このコラムは、2009年12月7日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第129号に掲載した記事に加筆したものです。

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