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蕭墻内の憂

 shì(1)jiāngzhuān(2)rǎnyǒu(3)(4)jiànkǒngyuē:“shìjiāngyǒushìzhuān。”
 kǒngyuē:“qiúnǎiěrshìguòzhuānzhěxiānwángwéidōngméngzhǔqiězàibāngzhīzhōngshìshèzhīchénwéi。”
 rǎnyǒuyuē:“zhīèrchénzhějiē。”
 kǒngyuē:“qiúzhōurényǒu yányuēchénjiùliènéngzhězhǐwēiérchídiānérjiāngyānyòngxiàngqiěěryánguòchūxiáguīhuǐzhōngshìshuízhīguò
 rǎnyǒuyuē:“jīnzhuānérjìnjīnhòushìwéisūnyōu
 kǒngyuē:“qiújūnshěyuēzhīérwéizhīqiūwényǒuguóyǒujiāzhěhuànguǎérhuànjūnhuànpínérhuànāngàijūnpínguǎānqīngshìyuǎnrénxiūwénláizhīláizhīānzhījīnyóuqiúxiàng
yuǎnrénérnéngláibāngfēnbēngérnéngshǒuérmóudònggānbāngnèikǒngsūnzhīyōuzàizhuānérzàixiāoqiángzhīnèi

《论语》季氏第十六-1

(1)季氏;魯国の大夫・季孙
(2)颛臾:魯国の属国
(3)冉有:姓はぜん、名は求。あざなは子有。
(4)季路;姓はちゅう、名はゆうあざなは子路。

素読文:
季氏きしまさせんたんとす。冉有ぜんゆう季路きろこうまみえていわく、季氏きしまさせんことらんとす。こういわく、きゅうすなわなんじあやまてることきか。せんは、昔者むかし先王せんおうもっ東蒙とうもうしゅせり。邦域ほういきうちり。しゃしょくしんなり。なんつことをもっさん。冉有ぜんゆういわく、ふうこれほっす。われ二臣にしんものは、みなほっせざるなり。
こういわく、きゅうしゅうじんえるり。いわく、ちからべてれつき、あたわざればむと。あやうくしてせず、くつがえりてたすけずんば、すなわいずくんぞしょうもちいん。なんじげんあやまてり。虎兕こじこうよりで、ぎょくとくちゅうやぶれなば、たれあやまちぞ。冉有ぜんゆういわく、いませんかたくしてちかし。いまらずんば、後世こうせかならそんうれいとらん。
こういわく、きゅうくんこれほっすとうをきて、かならこれすをにくむ。きゅうく、くにたもいえたもものは、すくなきをうれえずしてひとしからざるをうれう。まずしきをうれえずしてやすからざるをうれうと。けだひとしければまずしきことく、すればすくなきことく、やすければかたむくことし。くのごとし。ゆえ遠人えんじんふくせざれば、すなわ文徳ぶんとくおさめてもっこれたす。すでこれたせば、すなわこれやすんず。いまゆうきゅうや、ふうたすけ、遠人えんじんふくせずして、しかたすことあたわず。くに文崩ぶんほうせきして、しかまもることあたわざるなり。しこうしてかん邦内ほうないうごかさんとはかる。われそんうれいは、せんらずして、蕭牆しょうしょううちらんことをおそるるなり。

解釈:
李氏が魯国の顓臾を攻めようとしていた。李氏に支えていた冉有と季路は孔子に相談した。
孔子曰く;求(季路)よ、それはお前達が間違っているのではないか?颛臾は、昔周王が東蒙に開いた国だ。今は魯の支配下となっている。したがって魯の臣下だ。同じ魯の臣下である李氏が勝手に攻めるわけにはいかないだろう。
冉有曰く:君主は颛臾を責めたがっております。我らは二人とも賛成はしてないのですが。
孔子曰く:求よ、昔周任という人があった。力を尽くして任務にあたり、結果を出せなければその地位を辞する。危うきを助けず、倒れたものを助けなければ、任官できない、と周任は言っておる。求よ、お前の言うことは間違いだ。もし虎や野牛が檻から逃げたら、それは誰の責任だ?亀甲や宝石が箱の中で壊れていたら、それは誰の責任だ?
冉有曰く:顓臾は守りが固く費(李氏の領土)の近くです。今顓臾を取っておかないと後世の不安材料となります。
孔子曰く:求よ、君子は自分の本心を語らず、言葉を飾ることを避けるものだ。私はこういう話を聞いたことがある。国を治める者は、領内の人々が貧しいことを憂えず、人々の格差を憂う。貧しさを憂うのではなく安心できないことを憂う。富の格差がなく和すれば貧しいことはなく、和すれば人が減ることもない。遠方の人が帰服しないのであれば、文徳を高めれば自ずと人々は帰服する。既に領土にいる人々には、安心して暮らせるようにする。今冉有と季路が季孫を助け、遠方の人々を帰服させることができず、国内を分裂させ、戦争を引き起こそうとしている。私には季孫の憂は顓臾ではなく、国内にあるように見える。