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学を好む弟子

āigōngwèn:“shúwéihàoxué?”
kǒngduìyuē:“yǒuyánhuízhěhàoxuéqiānèrguòxìngduǎnmìngjīnwèiwénhàoxuézhě。”

《论语》雍也第六-2

素読文:

哀公あいこうう、ていたれがくこのむとす。こうこたえいわく、顔回がんかいなるものり、がくこのむ。いかりうつさず、あやまちをふたたびせず。こう短命たんめいにしてせり。いますなわし。いまがくこのものきかざるなり。

解釈:
哀公が孔子に尋ねた:“門人中で誰が一番学問が好きかな”
孔子答えて曰く:“顔回という者があり、たいへん学問が好きでした。怒りをうつさず、過ちをくりかえさない、顔回はそれができた。しかし、不幸にして短命で亡くなり、この世を去りました。顔回なきあとには、残念ながら、ほんとうに学問が好きだといえるほどの者はおりません」

賢なるかな顔回

yuē:“xiánzāihuídānshí(1)piáo(2)yǐnzàilòuxiàng(3)rénkānyōuhuígǎixiánzāihuí。”

《论语》雍也篇第六-9

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(1)一箪食:一杯の飯
(2)一瓢:一碗の汁
(3)陋巷:狭い路地裏

素読文:
いわく、けんなるかなかいや。一簞いったんいっぴょういん陋巷ろうこうり。ひとうれいにえず。かいたのしみをあらためず。けんなるかなかいや。

解釈:
孔子は回(顔回)を賢者と讃えています。一膳飯に一杯酒で、粗末な住居に生活していれば、普通の人ならば落ち込んでしまうところ、回は生活苦は気にせず、ただ道を極めることを楽しみ、道にひたりきっている。

顔回は孔子が最も愛した弟子と言われています。31歳年少の最愛の弟子に先立たれ、悲嘆に暮れたことでしょう

顔淵は愚ならず

yuēhuí(1)yánzhōngwéi退tuìérxǐng(2)huí

《论语》为政第二-9

(1)回:孔子の一番弟子。顔淵、顔回とも言う。
(2)发:啓発する。

素読文:
いわく:“われかいうことしゅうじつたがわざることなるがごとし。退しりぞきてわたくしかえりみれば、もっはっするにる。かいならず。”

解釈:
孔子曰く:“顔淵と一日話をしていても、異論や疑問を問うこともなく愚者の様だ。しかし顔淵の私生活を見れば、私も啓発を受けることがある。顔淵は愚者ではない。”

教えを知識とする人は、その解釈や自分の考えを披瀝したりするが、教えを実践する人は、解釈を口にしたりせず行動する。

孔子が最も愛した弟子

āigōng(1)wèn:“shúwéihàoxué?”
kǒngduìyuē:“yǒuyánhuízhěhàoxuéqiānèrguòxìngduǎnmìngjīnwèiwénhàoxuézhě

《论语》雍也第六-3

(1)哀公:魯の国の君主。

素読文:
哀公あいこうう、弟子ていしたれがくこのむとす。
こうこたえていわく、顔回がんかいなるものりて、がくこのみたり。いかりをうつさず、あやまちをふたたびせず。こう短命たんめいにしてせり。いますなわし。いまがくこのものかざるなり。

解釈:
哀公が孔子に尋ねた:“弟子の中で誰が最も学問を愛しているかね?”
孔子は答えて曰く:“顔回という弟子が学問を好みました。怒りを遷さず、過ちを繰り返さない賢者です。しかし不幸にして短命でこの世をさりました。いまだ顔回ほど学問を好むものを知りません”

この節でも、顔回に先立たれた孔子の悲しみがじわっと伝わってきます。

回や其庶からんか
三月仁に違わず
賢なるかな回也
一を聞いて十を知る

回や其庶からんか

yuē:“huíshùkōng(1)(2)shòumìngérhuòzhíyān(3)亿zhòng。”

《论语》先进第十一-19

(1)屡空:しばしば財布が空になる
(2)赐:子貢の名
(3)殖焉:金儲け

素読文:
いわく:“かいちかからんか。しばしばむなし。めいうけずして貨殖かしょくす。はかればすなわしばしばあたる。”

解釈:
孔子曰く「顔回は理想の境地に近いが、いつも貧乏だ。子貢は天命に従わず、金儲けに励んでいる。しかし判断は正しいので、やることは的中する。」
孔子は顔回の貧しても道を極める態度を高く評価している。子貢は貧乏な頃は人にへつらうまいと努力し、富んでも人に奢るまいと努力してきた。孔子はその努力を認めているが、その努力がまだ貧富にとらわれていることだと指摘しています。

顔淵の死(門人の思い)

yányuānménrénhòuzàngzhīyuē:“。”ménrénhòuzàngzhī

yuē:“huíshìyóushìyóufēièrsān(1)。”

《论语》先进第十一-11

(1)二三子:数名の門人たち

素読文:
顔淵がんえんす。門人もんじんあつこれほうむらんとほっす。いわく:“不可ふかなり”と。門人もんじんあつこれほうむる。
いわく:“かいわれることなおちちのごとくせり。われることなおのごとくするをざるなり。われにはあらざるなり。さんなり。”

解釈:
孔子が最も愛した弟子・顔淵が死んでしまいます。しかも自分より30歳も年下。孔子の嘆きは尋常ではなかったようです。
顔淵死す(孔子の思い)
顔淵の死を慟せり

顔淵は、あばら家に住み一膳の飯、一杯の水で生活をしていました。こういう一切の楽しみを捨て、求道者の如く生きている顔淵を孔子はこよなく愛していたのでしょう。
賢なるかな回也

門人たちは顔淵を盛大な葬儀で送り出したかったが、孔子にはそれは顔淵の生前の志と違うと考えたのでしょう。孔子のそんな思いが理解できずに門人たちは盛大な葬儀を催した。
最も愛した弟子・顔淵を失った孔子の悲しみは更に深くなったでしょう。

顔淵の死を慟せり

yányuānzhītòngcóngzhěyuē:“tòng。”yuē:“yǒutòngfēirénzhīwéitòngérshuíwéi?”

《论语》先进第十一-10

素読文:
顔淵がんえんす。これこくしてどうす。従者じゅうしゃいわく:“どうせりと。”曰いわく:“どうするありしか。ひとためどうするにあらずして、たがためにかせんと。”

解釈:
顔淵死す。孔子は慟哭する。従者曰く“子は慟哭されました。”
子曰く“これを慟哭せずして、誰のために慟哭することがあろう”

孔子が最も愛した弟子・顔淵が死んでしまう。しかもまだ30歳を越したばかりです。孔子の悲しみは如何程であったでしょう。

顔淵死す(父の思い)

yányuānyán(1)qǐngzhīchēwéizhīguǒ(2)

yuē:“cáicáiyán(3)yǒuguānérguǒxíngwéizhīguǒcóngzhīhòuxíng。”

《论语》先进第十一-8

(1)颜路:顔淵の父親。
(2)椁:棺を入れる外棺。
(3)鲤:孔子の長男。名はあざなは伯魚。

素読文:

顔淵がんえんす。がんくるまもっこれかくつくらんとう。
いわく:“さいさいも、また各々おのおのうなり。せしとき、かんりてかくし。われこうしてもっこれかくつくらざりしは、われたいしりえしたがい、こうすべからざるをもってなり。”

解釈:

顔淵が死んだ。父の顔路は彼のために外棺を造ってやりたいと思った。そこで孔子に願った。
「子の車をいただき、それを金にかえて、外棺を作ってやりたいと思います」
子曰く「才能があろうとなかろうと、子の可愛いさは同じだ。私も鯉が死んだ時には、せめて外棺ぐらい作ってやりたいと思った。しかし内棺だけですますことにした。車を売って外棺を作ってやることもできただろう。しかし、私があえてそれをしなかったのは、私も大夫であるからには、職掌がら、徒歩で出歩くわけにいかなかったからなのだ」

孔子は顔淵のことを「才不才」などと言っていますが、孔子自身は顔淵の才能を一番評価していたはずです。

顔淵死す(孔子の思い)

yányuānyuē:“tiānsàngtiānsàng。”

《论语》先进第十一-9

素読文:
顔淵がんえんす。いわく:“ああてんわれほろぼせり。てんわれほろぼせり。”

解釈:
顔淵が死に孔子は嘆き悲しんだ。「ああ、天は我を滅ぼせり。天は我を滅ぼせり」
孔子は顔淵の知性を高く評価し、弟子の中で最も愛していました。30歳年下の顔淵に先立たれた孔子の悲しみは深いものだったでしょう。

顔淵仁を問う

孔子の一番弟子顔淵も「仁」とは何かを問うています。

yányuānwènrényuē:“wéiréntiānxiàguīrényānwéirényóuéryóurénzāi?”yányuānyuē:“qǐngwèn。”yuē:“fēishìfēitīngfēiyánfēidòng。”yányuānyuē:“huísuīmǐnqǐngshì。”

《论语》颜渊第十二-1

素読文:
顔淵がんえん、仁を問う。
子曰わく、おのれれいかえるを仁とす。一日いちじつ己に克ちて礼に復れば、天下仁にす。仁を為すは己にる。しこうして人に由らんや。
顔淵曰わく、う、もくを問わん。
子曰わく、
礼にあらざればることなかれ、
礼に非ざればくこと勿れ、
礼に非ざればうこと勿れ、
礼に非ざればうごくこと勿れ。
顔淵曰わく、かい不敏ふびんなりといえども、請う、こととせん。

解釈:
顔淵が仁とは何か問うた。
孔子曰く:
己に打ち勝ち、礼を踏まえて行動をする。これを仁と言う。
一日でも己に打ち勝ち礼を踏まえて行動をすれば、万民は仁を習うようになる。仁を実践するということは自分自身が実践しようと思えば出来る物である。
顔淵、その方法を問う。
孔子曰く:
礼を踏まえていなければ、視ないことだ。
礼を踏まえていなければ、聴かないことだ。
礼を踏まえていなければ、言わないことだ。
礼を踏まえていなければ、動かないことだ。
顔淵答えて曰く:
私に出来るかどうか分からないが、この言葉を私の人生の指針として行きたい。

孔子が非礼勿視,非礼勿聴,非礼勿言,非礼勿動。と言っている『礼』は礼儀、儀礼と解釈すると意味がよくわかりません。調和とか秩序と解釈すると判りやすいと思います。
『復礼』すなわち利己を捨て調和・秩序のとれた社会になれば、相手を重んじ礼儀も儀礼もよくなるでしょう。

为仁由己,而由人乎哉?
仁を為すは己による。他人に由るモノではない。言い訳無用、実践あるのみ、と理解しました。