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答えを教えない指導法

 以前「答えのない質問」というタイトルの雑感を書いた。

答えがない質問の例として「フェルミ推定」と「父母未生のお前は何処にいた」という禅問答をご紹介した。

今回は小学校の教室で行われた設問をご紹介したい。
「虹はなぜ七色か?」

この質問には答えがある。
虹は太陽光が大気中の水滴に反射して発生する。
太陽光には全ての波長の光が含まれている(全ての色が含まれている)。
波長の異なる光は屈折率が異なる。
という原理を理解していれば、虹が七色である事を説明可能だ。

しかし、小学低学年の子供達はこの原理を理解していない。その子供達になぜ虹は七色か問い、クラスで議論させるそうだ。

同様に「桜の花は咲く前にどこにあったか?」という設問を与え議論させる。

この授業では、教師は何も教えず議論を聞いているだけ。

この教師の狙いは分からないが、「教える→覚える」という伝統的な教育方法にない効果がある事は容易に想像がつく。

この授業で物理現象や植物に関して興味を持った子供は、図書館に行き調べるかも知れない。自分で答えを求めて調べた事は、容易には忘れない。
自分で調べなかった子供も、後に物理の授業を受けた際に小学校の時の授業を思い出し膝を打って納得するだろう。「腑に落ちた」状態となれば、記憶に定着する。

この様な指導法は学校教育だけではなく、社会人に対する教育にも有効だと思う。企業内で行われる研修や、部下の指導で答えを教えない指導をする。
全てを、答えを教えない方法で指導にする事は、不可能かも知れない。教えてしまった方が手っ取り早い。

しかし、
教えずに考えさせる。考える過程で学ぶ。
教えずに失敗させる。その失敗から学ぶ。
こういう指導法の効果は高そうだ。

命取りにならない失敗をたくさん部下に経験させる事が出来るのが、優秀なリーダの条件かも知れない。


このコラムは、2016年10月3日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第496号に掲載した記事です。

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信じる力

 私は心配症だ。
品質保証の仕事をしていると、心配し続けることになる。一種の職業病だろう。

例えば、
作業台の上で不良品が製品に混じったらどうしよう。
倉庫の中で、違う部品が混じったらどうしよう。
運搬中に製品が荷崩れしたらどうしよう。
こんなことをいつも心配しているから、不具合を未然に防げるのだと思う。

自分自身の事はあまり心配していない。きっとうまく行くといつも考えているからだ(笑)
今月の売り上げが少ないと心配することはあるが、たいてい次の日には忘れている。独立してここまでやって来れたのは、自分の事を心配しないからだろう。

部下も同様だ。
部下を信じていれば、きっと出来る。
信じる力が足りないと、仕事を任せることが出来ない。仕事を任せなければ部下の成長はない。部下のことを心配していると、うまく行かない。

部下は信じて用いる。心配しないで部下に仕事を任せる。
信じてもらえれば、それに応えようとする。その結果成長する。

部下を信用すれば、部下は信頼と感謝を返してくれる。
信用とは、信じて任せるが、責任は自分で取ると覚悟を決めること。
部下を信じるということは、自分自身を信じることだ。


このコラムは、2012年6月11日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第261号に掲載した記事に加筆修正したものです。

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知識より体験

 言う事は立派だが何もしない。評論家的な発言ばかりで行動が伴わない。
そんな部下に対する不満を聞く事がよく有る。こういう人たちを冗談で「NATO」と呼んでいる。NATOとは北大西洋公约组织(略称:北约)のことではない。“No Action Talk Only”の略だ(笑)

こういう人材は時として人罪になりうる。「人罪」は言い過ぎかもしれないが、間違ってNATOな人を上位職につけてしまうと、組織全体が行動をしなくなる。
実業の世界では、いくら知識が有っても行動をしなければ成果は出ない。
学術研究の世界であっても、知識が成果になる事はない。従来の知識を駆使し、新しい知識を再生産すると言う行動をしているはずだ。少なくとも論文を書く、研究発表をすると言う行動をとらねば、新しい知識は世の中に認知されず、価値は発生しない。

子供の成長を考えてみよう。
親から歩き方(知識)を教えられ歩ける様になった子供はいない。
何度も転ぶ(体験)事により歩ける様になる。転ぶ前に親が手を貸していれば歩ける様になるまでに時間がかかるだろう。
では放置しておけば良いかと言うと、これも時間がかかる。
転んだ時に起こしてやるのではなく、起き上がるモチベーションを与える。
うまく起てた時、うまく歩けた時に賞賛を与える。
この繰り返しが、倒れても起き上がる不屈の精神を鍛え、歩く力を鍛錬する。
「知識」にはこの鍛錬のプロセスがない。

部下の指導も同じだ。
失敗体験から学ぶ事は多い。コントロールされた失敗を与える事が出来れば、計画的に失敗を与え成長を促す事が出来るだろう。コントロールされた失敗とは本人にとっても組織にとっても致命傷とならない様な失敗だ。
失敗をコントロールしておかねば、部下が成長する前に倒産してしまう(笑)

失敗した時に、二度と失敗しない様に、痛みを与える(叱り飛ばす、罰金を与える)方法をとる人が有る。自分の失敗と理解していない場合は叱り飛ばしそれを理解させなければならない。しかし本人が失敗だと理解している場合は、叱るより、信頼関係構築又は強化のチャンスとした方が良いと考えている。

成功体験も同じく学びになる。
プロジェクトの成功を祝って飲みに行く。こういうテンションの上げ方も賛成だ。しかしそれだけではもったいない。成功の要因を分析し、成功の方程式を作る。これが出来れば、今回偶然成功したとしても、次回以降成功の再現性を上げる事が出来る。


このコラムは、2016年1月25日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第460号に掲載した記事です。

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