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邦に道なければ…

yuē:“zhízāishǐ(1)bāngyǒudàoshǐ(2)bāngdàoshǐjūnzāi(3)bāngyǒudàoshì(4)bāngdàojuǎnér怀huáizhī(5)。”

《论语》卫灵公第十五-7

(1)史鱼:衛の大夫。名はしゅうあざなは子魚
(2)如矢:矢のようにまっすぐな性格。
(3)蘧伯玉:衛の大夫。姓はきょ。名はえん。伯玉はあざな
(4)仕:士官する。
(5)卷而怀之:才能を隠し世に出ない。

素読文:
いわく、ちょくなるかなぎょくにみちればのごとく、くにみちきものごとし。くんなるかなきょはくぎょくくにみちればすなわつかえ、くにみちければすなわきてこれふところにすべし。

解釈:
孔子曰く:“史魚は真っ直ぐな性格だ。世間に道が有っても無くても矢のように真っ直ぐでいられる。蘧伯玉は君子だ。世間に道があれば世に出て士官する。世間に道がなければ才能を隠し世に出ない。”
ここでいう「道」は道路ではなく道徳とか道理のことと理解しました。
しかし邦に道無くば、出て世を正すのが本物の君子ではないでしょうか。

小知と大受

yuē:“jūnxiǎozhī(1)érshòu(2)xiǎorénshòuérxiǎozhī。”

《论语》卫灵公篇第十五-34

(1)小知:小事を行う。
(2)大受:責任ある仕事を任せる。

素読文:
わく:“くんしょうせしむべからずして、大受たいじゅせしむべきなり。しょうじん大受たいじゅせしむべからずして、しょうせしむべきなり。”

解釈:
子曰く:“君子には細々した小事を任せるべきではない。責任ある大事を任せるべきだ。小人には大事を任せてはいけない。小事を任せるべきだ。”

君子ならば小事もそつなくこなすことができるだろう。しかし君子に小事を任せてはいけない。
小人には責任ある大事をこなすことはできないかもしれない。しかし小人でも小事をそつなくこなすことはできる。

孔子が言っているのは「君子たる部下に責任ある仕事を任せ、小人の部下には細々した仕事を任せよ」ということではないと思う。
組織内で、職位の低い者に小事ばかり任していれば、いつまで経っても成長しない。上司たる者、失敗の責任を取る覚悟で、大事を任せ部下の成長を促すべきだろう。肝心なことは、君子を目指す部下に大事を与えて育てる、小人のままでいる部下に成長を目指す心を持たせることだ。

君子は自責で考え、小人は他責で考える

yuē:“jūnqiúzhūxiǎorénqiúzhūrén。”

《论语》卫灵公第十五-21

素読文:
わく:“くんこれおのれもとめ、しょうじんこれひともとむ。”

解釈:
君子は何事も自責で考え、小人は何事も他責で考える。
自責で考えるから解決方法が見つかる。他責で考えれば解決方法はなく、己の不運を嘆くだけとなる。

例えば会社の経営がうまくゆかないのは不景気のせい(他責)だと考える経営者(小人)は、自分では景気を改善することはできず、不景気を呪うのみである。
会社の経営がうまくいかないのは、自分の経営方法が悪いから(自責)だと考える経営者(君子)は、経営方法を改善する努力により経営を立て直すことができる。

窮して濫れず

zàichén(1)juéliáng(2)cóngzhěbìng(3)néngxīng(4)yùn(5)jiànyuē:“jūnyǒu?” yuē:“jūn(6)qióng(7)xiǎorénqiónglàn。”

《论语》卫灵公第十五-2

(1)陈:国名。河南省にあった小国。
(2)绝粮:食料が絶える。
(3)病:飢えて疲れ果てる。
(4)莫能兴:立ちあがることができない。
(5)愠:いかる。
(6)固:もとより、元々。
(7)穷:窮する。行き詰まる。

素読文:
ちんりてりょうつ。じゅうしゃみて、つことし。子路しろいかりてまみえてわく:“くんきゅうすることるか。” わく:“くんもとよりきゅうす。しょうじんきゅうすればここみだる。”

解釈:
卫灵公第十五-1で衛の霊公が戦陣について孔子に尋ねている。孔子は戦争が始まると考え、衛の国を逃れる。
陳の国に逃げ延びたあたりで、食料がつき弟子たちも空腹で起き上がることもできなくなった。
子路が憤慨して孔子に問う。「君子も窮することがあるでしょうか」
孔子は答えて曰く「君子とて窮することはある。しかし小人は窮した上に取り乱す」

小人は窮すれば濫れる。君子は窮しても濫れない。

人にとって仁とは

yuēmínzhīrénshènshuǐhuǒshuǐhuǒjiàndǎo(1)érzhěwèijiàndǎorénérzhě

《论语》卫灵公第十五-35

(1)蹈:命をかける。殉じる。

素読文:
子曰わく:“民の仁にけるや、すいよりもはなはだし。水火はわれみて死する者を見る。いまだ仁を蹈みて死するものを見ざるなり。

解釈:
子曰く:“人民にとって、仁は水や火よりも大切なものである。私は水や火に飛び込んで死んだものを見たことがあるが、まだ仁に飛び込んで死んだものを見たことがない”

水や火に飛び込めば、溺れ死ぬか焼け死にます。しかし仁に飛び込めば、死ぬどころかより豊かに生きる事ができるはずです。

師に譲らず

yuē:“dāngrénràngshī。”

《论语》卫灵公第十五-36

素読文:
わく:“仁にたりては、にもゆずらず。”

解釈:
子曰く:“仁の道を成すためには、師にも譲る必要はない。”

人として仁を極めようとするならば、師も弟子も関係ない。上司も部下も関係ない。ということですね。

智・仁・荘・礼

yuē:“zhìzhī(1)rénnéngshǒuzhīsuīzhīshīzhīzhìzhīrénnéngshǒuzhīzhuāngzhī(2)mínjìngzhìzhīrénnéngshǒuzhīzhuāngzhīdòngzhīwèishàn。”

《论语》卫灵公第十五-33

(1)知及之:知識、学識がその地位にふさわしいこと。
(2)涖之:これのぞむ。民に臨む、という意味。

素読文:
子曰わく:“これおよぶも、じんこれまもらざれば、これいえども、かならこれうしなう。これおよび、仁能く之を守るも、そうもって之にのぞまざれば、すなわたみけいせず。知之に及び、仁能く之を守り、荘以て之に涖むも、之を動かすにれいを以てせざれば、いまからざるなり。”

解釈:
孔子曰く:“知識、学識が為政者としての地位を得るに十分でも、仁徳をもってそれを守ることができなければ、得た地位は必ず失われる。知識、学識が十分であり、仁徳をもって地位を守り得ても、荘重な態度で人民に臨まなければ、人民は敬服しない。知識、学識が十分であり、仁徳をもって地位を守ることができ、荘重な態度で民に臨んでも、人民を動かすのに礼をもってしなければ、まだ真に善政であるとはいえない。”

為政者として世を治めるためには智・仁・荘・礼をもって民に接する事が必要である、と理解しました.

仁のために死す

yuē:“zhìshìrénrénqiúshēnghàirényǒushāshēnchéngrén。”

《论语》卫灵公第十五-9

素読文:
子曰わく、じんじんは、せいもとめてもっじんがいすることし。ころしてもっじんすことり。

解釈:
志の高い人、仁徳がある人は生きるために仁を害することがない。かえって身を殺して仁を成しとげるものだ。

保身のために嘘をつく、人を裏切る、こういう人は志士仁人とは言えません。
しかし保身のために悪事を働く人は世の中に必ずいます。
政治家、官僚、経営者、上司など権利欲、金銭欲、出世欲、保身などで悪事を働く人がいます。こういう人たちも世の中には必要なのです。

こういう人たちがいるから、小説やドラマが成立するのです(笑)

子貢仁を為すを問う

gòngwènwéirényuē:“gōngshànshìxiānshìbāngshìzhīxiánzhěyǒushìzhīrénzhě。”

《论语》卫灵公第十五-10

素読文:
こう、仁をすことを問う。子曰わく、こうの事をくせんとほっせば、必ずまず其のにす。くにに居るや、其の大夫たいふけんなる者につかえ、其のの仁なる者を友とす。

解釈:
子貢が仁を行う道について問うた。孔子曰く:大工は仕事の前にまずノミや鉋を研ぐ。同様に仁を行うためにはまず自分を磨かねばならない。そのためにはどの国にあろうとも、その国の賢者に仕え、仁者を友とすることだ。

「ダイヤはダイヤでしか磨かれない。人は人でしか磨かれない」立派な上司や友人を持つことが重要だということですね。