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回や其庶からんか

yuē:“huíshùkōng(1)(2)shòumìngérhuòzhíyān(3)亿zhòng。”

《论语》先进第十一-19

(1)屡空:しばしば財布が空になる
(2)赐:子貢の名
(3)殖焉:金儲け

素読文:
いわく:“かいちかからんか。しばしばむなし。めいうけずして貨殖かしょくす。はかればすなわしばしばあたる。”

解釈:
孔子曰く「顔回は理想の境地に近いが、いつも貧乏だ。子貢は天命に従わず、金儲けに励んでいる。しかし判断は正しいので、やることは的中する。」
孔子は顔回の貧しても道を極める態度を高く評価している。子貢は貧乏な頃は人にへつらうまいと努力し、富んでも人に奢るまいと努力してきた。孔子はその努力を認めているが、その努力がまだ貧富にとらわれていることだと指摘しています。

顔淵の死(門人の思い)

yányuānménrénhòuzàngzhīyuē:“。”ménrénhòuzàngzhī

yuē:“huíshìyóushìyóufēièrsān(1)。”

《论语》先进第十一-11

(1)二三子:数名の門人たち

素読文:
顔淵がんえんす。門人もんじんあつこれほうむらんとほっす。いわく:“不可ふかなり”と。門人もんじんあつこれほうむる。
いわく:“かいわれることなおちちのごとくせり。われることなおのごとくするをざるなり。われにはあらざるなり。さんなり。”

解釈:
孔子が最も愛した弟子・顔淵が死んでしまいます。しかも自分より30歳も年下。孔子の嘆きは尋常ではなかったようです。
顔淵死す(孔子の思い)
顔淵の死を慟せり

顔淵は、あばら家に住み一膳の飯、一杯の水で生活をしていました。こういう一切の楽しみを捨て、求道者の如く生きている顔淵を孔子はこよなく愛していたのでしょう。
賢なるかな回也

門人たちは顔淵を盛大な葬儀で送り出したかったが、孔子にはそれは顔淵の生前の志と違うと考えたのでしょう。孔子のそんな思いが理解できずに門人たちは盛大な葬儀を催した。
最も愛した弟子・顔淵を失った孔子の悲しみは更に深くなったでしょう。

顔淵死す(父の思い)

yányuānyán(1)qǐngzhīchēwéizhīguǒ(2)

yuē:“cáicáiyán(3)yǒuguānérguǒxíngwéizhīguǒcóngzhīhòuxíng。”

《论语》先进第十一-8

(1)颜路:顔淵の父親。
(2)椁:棺を入れる外棺。
(3)鲤:孔子の長男。名はあざなは伯魚。

素読文:

顔淵がんえんす。がんくるまもっこれかくつくらんとう。
いわく:“さいさいも、また各々おのおのうなり。せしとき、かんりてかくし。われこうしてもっこれかくつくらざりしは、われたいしりえしたがい、こうすべからざるをもってなり。”

解釈:

顔淵が死んだ。父の顔路は彼のために外棺を造ってやりたいと思った。そこで孔子に願った。
「子の車をいただき、それを金にかえて、外棺を作ってやりたいと思います」
子曰く「才能があろうとなかろうと、子の可愛いさは同じだ。私も鯉が死んだ時には、せめて外棺ぐらい作ってやりたいと思った。しかし内棺だけですますことにした。車を売って外棺を作ってやることもできただろう。しかし、私があえてそれをしなかったのは、私も大夫であるからには、職掌がら、徒歩で出歩くわけにいかなかったからなのだ」

孔子は顔淵のことを「才不才」などと言っていますが、孔子自身は顔淵の才能を一番評価していたはずです。

顔淵死す(孔子の思い)

yányuānyuē:“tiānsàngtiānsàng。”

《论语》先进第十一-9

素読文:
顔淵がんえんす。いわく:“ああてんわれほろぼせり。てんわれほろぼせり。”

解釈:
顔淵が死に孔子は嘆き悲しんだ。「ああ、天は我を滅ぼせり。天は我を滅ぼせり」
孔子は顔淵の知性を高く評価し、弟子の中で最も愛していました。30歳年下の顔淵に先立たれた孔子の悲しみは深いものだったでしょう。

鬼神に仕うるを問う

wènshì(1)guǐshén
yuē:“wèinéngshìrényānnéngshìguǐ。”
yuē:“gǎnwèn。”
yuē:“wèizhīshēngyānzhī。”

《论语》先进篇第十一-12

(1)事:仕える。奉仕する。

素読文:

季路きろしんつかうることをう。
いわく、いまひとつかうることあたわず、いずくんぞつかえん。
いわく、えてう。
いわく、いませいらず、いずくんぞらん。

解釈:

季路(子路)は、鬼神に仕えることを尋ねた。
孔子曰く:人に仕えることも分からないのに、鬼神に使えることが理解できようか?
季路重ねて問う:では死とは何でしょうか?
孔子曰く:生が分からないのに死が分かる道理がない。

難しいことを考える前に、目の前のことを理解せよ。
という教えでしょうか。

篤論

yuē:“lùn(1)shìjūnzhězhuāng(2)zhě。”

《论语》先进第十一-21

(1)论笃:議論が丁寧で行き届いている。
(2)色庄:重々しく装う

素読文:
わく:“ろんあつきにこれくみせば、くんしゃか、色荘者しきそうしゃか。”

解釈:
孔子曰く「議論がしっかりしているだけでは、君子であるか、見かけだけかわからない。」

君子ならば論篤である必要がありますが、論篤だから君子であるとは限りません。ホラ吹き、ペテン師は皆君子になってしまいます。

吾、野人に従わん

yuē:“xiānjìn(1)yuèrén(2)hòujìn(3)yuèjūn(4)yòngzhīcóngxiānjìn。”

《论语》先进第十一-1

(1)先进:周代初期の先輩。先に礼楽を学び後に官吏になった人という解釈もある。
(2)野人:素朴な人、地方在住の平民。
(3)后进:周代末の後輩。先に官吏となり後に礼楽を学んだ人という解釈もある。
(4)君子:統治者、教養人。

素読文:
いわく、先進せんしん礼楽れいがくけるや、じんなり。後進こうしん礼楽れいがくけるや、くんなり。これもちうれば、すなわわれ先進せんしんしたがわん。

解釈:
昔の礼楽を修めた人は素朴、今の礼楽を修めた人は教養ある上流人。自分が礼楽を学ぶならば、昔の人に従いたい。

先に礼楽を学び官吏になった者と、官吏になったのちに礼楽を学んだ者があるならば、前者に従いたい。この解釈では、後者は礼楽は為政者として箔をつけるために学んだことになります。