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一日暮らし

 一日暮らしというと、将来のことも考えずにその日その日の享楽を求める、もしくはその日その日の生活に追われ将来のことを考えることができない状況を思い浮かべるかもしれない。

しかしこれは、臨済宗の高僧・正寿老人(道鏡恵端禅師)の教えだそうだ。
明日という日があると思うから今日を精一杯生きられない。どんなに辛くても今日一日と思えば耐えられる。どんなに楽しくても今日一日と思えばそれに溺れることもない。「一大事とは今日只今の心なり」という教えだ。

「大切なことから忘れなさい」松山大耕著

私たちの仕事はPDCAを回せと教えられる。計画や目標を持って仕事をする。つまりいつも明日を見て仕事をしているわけだ。これは禅の教えに反するのか?
例によって、どうでもいい事をグダグダと考えている(笑)

植物界は「桃栗三年柿八年、梅は酸いとて十三年、柚の大馬鹿十八年」と言う。柚は十八年かけてようやく実をつける。人も柚と同じく十八年かけてようやく成人と認めてもらえる。月日はゆっくりとしか流れない。

しかし明日は必ず来るとは限らない。今日と同じルールを適用出来る明日とは限らない。だから計画など持たずに「一日暮らし」で良いではないか、というのは違う気がする。

明日は来ないかもしれない。明日は今日と違うルールの世界かもしれない。

今日を精一杯生ききれば明日が来なくても後悔はない。
明日は今日と違う世界ならば、その世界で今日を生ききる。
それが「一日暮らし」という生き方なのだと思う。


このコラムは、2019年7月12日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第848号に掲載した記事です。

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冷暖自知

 臨済宗の禅僧が書かれた本を読んだ。

「大事なことから忘れなさい」松山大耕著

禅宗の修行は、理論を勉強したり理解しようとするモノではない。作務、座禅などの行動を通して悟りに近づくモノのようだ。曹洞宗では「只管打坐」といい、ただ座禅をしていれば悟りは開けるという。知識を学び記憶し、実践するという教育を受けてきた者にとっては心もとない修行法だ。

「柔らかい」という感覚は、猫の肉球、美少女の髪を触ってみる、人の優しい心に触れてみる、という体験を通して初めて理解出来るモノだ。「冷暖自知」という禅語はそういう真理を伝えている。
手短に言えば風呂の湯加減を見るのに温度計など使わず、手を突っ込んでみよ、ということだ(笑)

書籍はもっと良い例を紹介していた。
剃髪をしているお坊さんには悩みがあるそうだ。剃髪をすると肌が荒れる。冬場は乾燥し尚更肌が荒れるだろう。
そこで肌荒れ防止、保湿効果のあるシャンプーが作れないかと考えた。
その話に石鹸屋の社長が乗ってくれた。なんと社長は自ら剃髪をしてお坊さん専用石鹸の開発に取り組んだそうだ。

顧客の立場に立って製品やサービスを考える時に、頭だけで考えないで自らの頭を使った体験を通して考える。つまり頭を使って「考える」のではなく、頭を使って「感じる」ということだ。


このコラムは、2019年2月1日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第779号に掲載した記事です。

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