投稿者「master@QmHP」のアーカイブ

実践躬行

yuēwényóuréngōngxíngjūnwèizhīyǒu

《论语》述而篇第七-33

素読文:
いわく:“ぶんわれひとのごときことからんや。くんきゅうこうすることは、すなわわれいまこれることらず。”

解釈:
孔子曰く:“典籍の研究は、私も人なみにできると思う。しかし、君子の行いを実践することは、まだなかなかだ”

孔子が「君子の行いがまだできていない」というのは謙遜では無く、あるべき姿が私たちが考えているより遥かに高いということでしょう。

rénérshàn使shǐfǎnzhīérhòuzhī

《论语》述而篇第七-31

素読文:

ひとうたいてければ、かならこれかえさしめて、しかのちこれわす。

解釈

孔子は誰かと歌をうたわれる場合、相手が善き歌い手だと、必ずその相手にくりかえし歌わせてから、合唱された。

真知に至る道

yuē:“gàiyǒu>bùzhīérzuòzhīzhěshìduōwénshànzhěércóngzhīduōjiànérzhìzhīzhīzhī。”

《论语》述而篇第七-28

素読文:

いわく、“けだらずしてこれを作る者有らん。我はれ無きなり。多く聞きてき者をえらびて之にしたがい、多く見て之これをしるすは、知るの次なり。”

解釈

孔子曰く:“無知で我流の新説を立てる者もあるらしいが、私はそんなことはしない。私はなるべく多くの人の考えを聞いて取捨選択し、なるべく多く実際を見てそれを心にとめておき、判断の材料にするようにつとめている。むろん、それではまだ真知とはいえないだろう。しかし、それが真知にいたるみちなのだ”

現代では、分からないことはネットで検索すればすぐに答えは見つかります。さらに検索を重ねれば、いろいろな答えや解釈が見つかります。私たちは孔子の時代の知識人より多様な解釈の中から自分の考えに合うものを選ぶことができると言ってよさそうです。

天、徳を我に生ぜり

yuē。:tiānshēnghuántuí(1)

《论语》述而篇第七-22

(1)桓魋:宋の大夫、向魋しょうたい。司馬(軍務大臣)の位にあった。宋に来た孔子を殺そうとした。司馬牛の兄。

素読文:

いわく、てんとくわれしょうぜり。桓魋かんたいそれわれ如何いかんせん。

解釈:

宋の大夫、向魋しょうたい。司馬(軍務大臣)の位にあった。宋に来た孔子を殺そうとした。
孔子曰く:“私は天に徳を授かった身だ。桓魋かんたいなどが私をどうにもできるものではない”

狩猟の心得

diàoérgāngshè宿xiǔ

《论语》论语述而篇第七-26

素読文:

つりしてこうせず。よくして宿しゅくず。

解釈:

 釣りをする時は網を使って一網打尽にすることはしない。
矢を射て鳥をとられることはあったが、鳥を巣ごと一網打尽に捕らえることはなかった。

続・レトロニム

 6月9日に配信したメルマガで『レトロニム』という言葉をご紹介した。

スーパーマーケットにセルフレジが登場した。しかしまだ不慣れな人のために従来のレジも少し残しておき、「有人レジ」という名称とした。この様な従来の物が新規に置き換わった時に、従来品の名称を変更することをレトロニムという。

典型的な事例は電話機ではなかろうか?昔の電話機は耳に受話器を当て、呼び出しのハンドルを回して交換手を呼び出す方式だった。その後ダイヤルで相手電話番号を回せば直接繋がる様になる。私が知っているのはここいらあたりからだ。まだ電話の普及率が低く、緊急時は電報を使用した。『ウナデン』という言葉はほぼ死語だろう。街角に公衆電話が普及し出す。家庭の電話機は『家電』(いえでん)とレロニムされる。この頃は刑事や探偵が緊急の連絡のために、公衆電話を探すシーンが小説やドラマに当たり前にあった。ポケベルで謎の通信文をやりとりするシーンが昔の小説に出てくる。その後携帯電話が普及し、公衆電話が消える。今時の刑事や探偵は、連絡のために公衆電話を探すことはしない。あるとすれば、電池切れの携帯に充電する方法を探し歩くくらいだろう(笑)

写真機も何度がレトロニムがあった。大昔のカメラは感光版をセットして撮影した。感光版の感度が低いので、マグネシウムを焚くフラッシュとセットだ。
その後ブロニーフィルムを使うカメラが登場。上から覗くタイプのカメラだ。
さらに小型のフィルムを使うカメラが登場。上から覗くカメラは、後から登場した一眼レフカメラに対して「二眼カメラ」とでも呼ばれたのだろうか?
フイルムが交換できない使い捨てカメラ、フィルムを使わずプリンターで出力するカメラが登場し、「フィルムカメラ」というレロトロニムが生まれる。


このコラムは、2023年7月21日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第1471号に掲載した記事です。

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文・行・忠・信を教う

jiàowénxíngzhōngxìn

《论语》述而篇第七-25

素読文:

もっおしう。ぶんこうちゅうしん

解釈:

孔子は四つの科目により指導した。文献の研究、行動、忠誠、信義の四科目だ。

名を正す

yuēwèijūndàiérwéizhèngjiāngxiān

yuēzhèngmíngyuēyǒushìzāizhīzhèng

yuēzāiyóujūnsuǒzhīgàiquēmíngzhèngyánshùnyánshùnshìchéngshìchéngyuèxīngyuèxīngxíngzhòngxíngzhòngmínsuǒcuòshǒu

jūnmíngzhīyányánzhīxíngjūnyánsuǒgǒuér

《论语》子路篇第十三-3

素読文:

子路しろいわく、衛君えいくんちてまつりごとさば、まさなにをかさきにせんとす。いわく、かならずやたださんか。子路しろいわく、るかな、なるや。なんたださん。いわく、なるかなゆうや。くんらざるところいて、けだ闕如けつじょたり。ただしからざれば、すなわげんしたがわず。げんしたがわざれば、すなわことらず。ことらざれば、すなわ礼楽れいがくおこらず。礼楽れいがくおこらざれば、すなわ刑罰けいばつあたらず。刑罰けいばつあたらざれば、すなわたみ手足しゅそくところし。ゆえくんこれづくれば、かならきなり。これえば、かならおこなうきなり。くんげんいて、いやしくもするところきのみ。

解釈:

 子路はもし孔子が衛の君主に乞われ治世に当たることになったら何からされますか?と尋ねた。
孔子曰く“まずは言葉を合わせよう”
子路曰く“それでは回りくどく、効果が見えるまで時間がかかる様に思います”
孔子曰く“言葉の解釈がまちまちならば、治世に対する解釈がまちまちになる。治世は乱れる。

現代日本の状況も為政者と国民の『言葉』がずれている様に思います。
『繁栄』という言葉を、為政者は自ら所属する政治団体の勢力拡大と解釈し、国民は日々の生活のゆとりと解釈している。

これ丘なり

yuēèrsānwéiyǐnyǐněrxíngérèrsānzhěshìqiū

《论语》述而篇第七-24

素読文:

いわく、さんわれもっかくせりとすか。われかくすこときのみ。われおこなうとしてさんともにせざるものし。きゅうなり。

解釈:

孔子は弟子たちに向かって言った「私の教えに何か秘密でもあって、それを君達にかくしていると思っているのではないか?私には何もかくすものはない。私はいつも、君達と一緒におり私の行動を見せている。それが私の教えの全部だ。きゅうとはそういう人間だ」

孔子の教えは、人として当たり前のことなので、もっと深い意味があるのではないかと考えてしまうのでしょう。重要なことは人として当たり前のことを実践することでしょう。

レトロニム

 新聞に「レトロニム」という言葉が出ていた。新しいものが生まれた時に区別のため、古いものの名前を変えることを「レトロニム」というのだそうだ。
記事には、スーパーなどでバーコードを読み取り自動精算するレジが出来たことにより、従来のレジを「有人レジ」と名称を変えて区別する例が紹介されていた。「無人レジ」がなかった頃は「レジ」で済んでいた。しかし無人レジになれないお客様のために「レジ」を「有人レジ」とレトロニムして残したわけだ。
新しいレジを「無人レジ」という名称にしないのは、近い将来無人レジだけにしたいからだろう。

鉄道の改札も「無人改札」となって久しい。しかし「有人改札」というのは見たことがない。これが意外と不便である。
例えば、駅ホームに入構したが忘れ物をして戻りたい時などICカード乗車券で入構するとその駅では出ることができない(これは西武鉄道だけかもしれないが)その様な特殊例のためだけに「有人改札」を設けることはなさそうだが、自動改札に投入したパスモ(または定期券、乗車券)は無情にも戻ってくる。後ろの人がドン、ドンとぶつかってくることになる。

入構駅で使用した改札券で出構できないのは、目的地まで行き駅構内で用事を済ませて戻ってくる様な不正を防ぎたいためだろう。


このコラムは、2023年6月9日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第第1453号に掲載した記事です。

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