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君子は日食・月食

gòngyuē:“jūnzhīguòyuèzhīshí(1)yānguòrénjiējiànzhīgēngrénjiēyǎngzhī。”

《论语》子张第十九-21

(1)如日月之食:日食や月食のようなものだ。誰の目にも明らか。

素読文:
こういわく:”くんあやまちや、日月じつげつしょくのごとし。あやまつやひとみなこれる。あらたむるやひとみなこれあおぐ。”

解釈:
子貢曰く;“君子の過ちというのは日食や月食と同じだ。過てば誰の目にも明らか。過ちを正しても誰の目にも明らかだ”

君子の過ちは民衆が見ている、過ちを正せば民衆は見直す。
論語には他にも「過ち」に対する言葉があります。

子曰:“君子不重則不威。學則不固。主忠信。無友不如己者。過則勿憚改。”(学而第1−8
子曰:“過而不改。是謂過矣。”(衛霊公第15-29)

為政者は君子であってほしいものですが、なかなかそうはいかないようです。

暴君・紂王

gòngyuē:“zhòu(1)zhīshànshìzhīshènshìjūnxiàliú(2)tiānxiàzhījiēguīyān。”

《论语》子张第十九-20

(1)纣:殷代最後の王。後に放蕩、暴政の暴君と言われる。
(2)下流:窪地で水が集まる場所。転じて道徳的に不利な地位を意味する。

素読文:
こういわく、ちゅうぜんは、くのごとくはなはだしからざりしなり。ここもっくんりゅうることをにくむ。てんあくみなこれすればなり。

解釈:
子貢曰く:暴君と言われる殷の紂王の悪行も実際はさほどでもなかったらしい。それが後世暴君のように言われるのは、道徳的に不善な環境にいたからだろう。だから君子はそのような場所にいることを憎むのだ。

本当の君主であれば、時代や周囲の環境に流されることなく、不道徳な世の中を改善するのではないでしょうか。子貢の紂王に対する評価は少し甘いように感じます。

賢者を尊び、衆を容れる

xiàzhīménrénwènjiāozhāng
zhāngyuē:“xiàyún?”duìyuē:“xiàyuē:‘zhězhīzhězhī。’”
zhāngyuē:“suǒwénjūnzūnxiànérróngzhòngjiāshànérjīnnéngzhīxiànrénsuǒróngzhīxiànrénjiāngzhīrén?”

《论语》子张第十九-3

素読文:
子夏しか門人もんじんまじわりをちょうう。
ちょういわく、子夏しかなにとかえる。こたえていわく、子夏しかいわく、なるものこれくみし、不可ふかなるものこれこばめと。
ちょういわく、ところことなり。くんけんたっとびてしゅうれ、ぜんよみしてのうあわれむ。われ大賢たいけんならんか。ひといてなんれざるところぞ。われけんならんか。ひとまさわれこばまんとす。これ如何いかんひとこばまんや。

解釈:

子夏の門人が人との交流を子張にたずねた。
子張曰く:“子夏はなんといったのか”
子夏の門人答えて曰く:“ためになる人と交わり、ためにならない人とは交わるな、といわれました”
子張曰く:“それは私の学んだことと違う。君子は賢者を尊び衆人を受け入れる。善人を称讃するとともに無能の人をあわれむ、と私は学んだ。自分がもし賢者であるなら、誰でも受け入れる、自分がもし賢者でなければ、こちらが相手をきらうまえに、相手がこちらをきらうだろう”

君子たる者、学歴、社会的地位、貴賎で人を判断すべきではない。
というのは理解できますが、他人の時間を奪うような人とは付き合いたくない、と小人の私は思います。

君子の指導

yóuyuē:“xiàzhīménrénxiǎodāngsǎoyìngduìjìn退tuì(1)běnzhīzhī。”
xiàwénzhīyuē:“yányóuguòjūnzhīdàoshúxiānchuányānshúhòujuàn(2)yānzhūcǎobiéjūnzhīdàoyān(3)yǒushǐyǒuzhěwéishèngrén。”

《论语》子张第十九-12

(1)子游:姓はげん、名はえん。孔子十哲の一人
(2)子夏:姓はぼく、名はしょう。孔子十哲の一人。
(3)抑:ただし、そもそも
(4)诬:だます

素読文:
ゆういわく、子夏しか門人もんじんしょうは、洒掃さいそう応対おうたい進退しんたいあたりては、すなわなり。そもそすえなり。これもとづくるはすなわし。これ如何いかん
子夏しかこれきていわく、ああ言游げんゆうあやまてり。くんみちは、いずれをかさきにしてつたえ、いずれをかのちまん。これ草木そうもくにしてもっべつあるにたとう。くんみちは、いずくんぞうべけんや。はじおわあるものは、聖人せいじんか。

解釈:
子游曰く:「子夏の門下の若者たちは、掃除、応対、立ち居振る舞いが良くできている。しかし、そんなことはそもそも末梢小事だ。根本を教えられていないようだが、いったいどういうわけだ」
子夏聞きて曰く「ああ、言游は心得違いをしている。君子が人を導くには、何が重要だから先に教えるとか、何が重要でないから後でもいいとか、一律にきめてかかるべきではない。たとえば草木を育てる場合は、その種類に応じて、育て方がちがっていなければならないのだ。君子が門人を導くのに、無理があっていいものだろうか。道の本末がすべて身についているのは、ただ聖人だけで、一般の人々には、その末になることさえまだ身についていないのだから、むしろそういうことから手をつけるのが順序ではあるまいか」

周公の教え

zhōugōngwèigōng(1)yuē“君jūnchí(2)qīn使shǐchényuàn(3)jiùqiúbèirén。”

《论语》微子第十八-10

(1)鲁公:伯禽。魯の初代君主。父は周王朝の周公旦。
(2)施:遠ざける。
(3)以:用いる。信任する。

素読文:
しゅうこうこういていわく:“くんしんてず。大臣たいじんをしてもちいられざるをうらましめず。きゅうたいければ、すなわてざるなり。そなわるを一人いちにんもとむることかれ。

解釈:
周公は魯公に言った“君子たるもの親族を見捨てるものではない。家臣を信任せず恨みに思わせるものではない。古くからの家臣は大きな過ちがなければ捨てない方が良い。一人の家臣に全てを求めてはならない”
現代にも通じる言葉です。部下は信じて用いれば、上司を信頼して働きます。万能な部下よりは、多様な能力を持ったチームの方が力を発揮するはずです。

君子に三つの顔あり

xiàyuē:“jūnyǒusānbiànwàngzhīyǎnránzhīwēntīngyán。”

《论语》子张第十九-9

素読文:
子夏しかいわく、くん三変さんぺんり。これのぞめば儼然げんぜんたり。これくやおんなり。そのげんくやはげし。

解釈:
子夏曰く:“君子は三つの顔がある。遠くから眺めれば厳然とし、近づいて会えば温かい、その言葉は厳しい。

《論語》述而第十七-38には“子温而厉,威而不猛,恭而安。”とあります。当然ながら孔子もまた君子である、ということです。

百工事をなし、君子道を致す

xiàyuē:“bǎigōng(1)chéngshìjūnxuézhìdào。”

《论语》子张第十九-7

(1)肆:仕事場

素読文:
子夏しかいわく、ひゃくこうもっことし、くんまなびてもっみちいたす。

解釈:
職人は仕事を極めることにより「事」をなし、君子は学問を極めることで「道」をなす。
職人は自分の技を磨きモノを作ります。モノとは具体的な物だけではなく、サービスも含むでしょう。そのモノにより人々の幸福感を高める。これが「事」だと思います。
学問を極めてもただの物知りに過ぎません。君子はその学識により人々の道徳、規範を正す。これが「道」だと思います。

遠きを致す

xiàyuē:“suīxiǎodào(1)yǒuguānzhěyānzhìyuǎnkǒng(2)shìjūnwéi。”

《论语》子张第十九-4

(1)小道:農業、工業、商業、医療、占いなどの技能
(2)泥:妨げとなる

素読文:

子夏しかいわく:しょうどういえども、かならるべきものり。とおきをいたすにはおそらくなずまん。ここもっくんさざるなり。

解釈:

子夏曰く「農業、工業、商業、医療、占いなどの技能もそれぞれ意義はある。しかしそのような技能では、人の真理は探究できない。だから君子はそのような技能には専念しないのだ」

最先端の技術は4年もすると陳腐化します。2500年経っても陳腐化しない孔子の教えをもっと学ぶべきだと思います。

堅きは磨すれども磷がず

(1)zhàowǎng
yuē:“zhěyóuwénzhūyuēqīnshēnwéishànzhějūnzhōngmóu(2)pànzhīwǎngzhī?”
yuē:“rányǒushìyányuējiānérlìn(3)yuēbáiniè(4)ér(5)páoguā(6)zāiyānnéng(7)érshí?”

《论语》阳货第十七-7

(1)佛肸:bìxīと発音する。晋の大夫赵鞅の家臣。中牟の代官。
(2)中牟:地名。今の河北省邢台市と邯郸市の中間。
(3)磷:傷つける。
(4)涅:染める。
(5)缁:黒
(6)匏瓜:瓢箪の一種で苦くて食べられない。
(7)系:jìと発音する。ぶら下がる。

素読文:

佛肸ひつきつす。かんとほっす。
子路しろいわく、昔者むかしゆうこれふうけり。いわく、みずかいてぜんものには、くんらざるなりと。佛肸ひつきつちゅうぼうもっそむく。くやこれ如何いかんと。
いわく、しかり。げんるなり。かたきをいわずや、すれどもうすらがず。しろきをいわずや、でっしてくろまず。われほうならんや。いずくんぞかかりてわれざらんや。

解釈:

佛肸ひつきつが師を招いた。師はその招きに応じて行こうとされた。
すると子路がいった。「かつて私は師に、君子は、自分から進んで不善を行なうような人間の仲間入りはしないものだ、と聞きました。佛肸ひつきつは、ちゅうぼうにて反乱をおこしている人間です。師が、そういう人間の招きに応じようとなさるのは、いったいどういうわけでしょう」

子曰く「たしかに私はそういうことをいったことがある。だが、ほんとうに堅いものは、擦っても傷はつかない。ほんとうに白いものは、染めても黒くはならない。私は食用にもならず、ただぶらりとぶらさがっている匏瓜ほうかのような人間ではない」

孔子はどこからも仕官の話がなくいわば浪人状態です。佛肸のように主に反乱を起こすような人物から声をかけられ、一瞬でも心が動いたのでしょうか。由(子路)に諌められています。

子路は孔子に向かってずけずけと意見を言う弟子です。この時、孔子は子路の言葉に従って、佛肸の誘いは断ったのでしょうか。調べてみても佛肸に仕官したと言う史実は見つかりません。

君子が悪む者

gòngyuē:“jūnyǒu(1)?”
yuē:“yǒuchēngrénzhīèzhěxiàliú(2)érshàn(3)shàngzhěyǒngérzhěguǒgǎnérzhì(4)zhě。”yuē:“(5)yǒu?”
jiǎo(6)wéizhì(7)zhěxùn(8)wéiyǒngzhějié(9)wéizhízhě。”

《论语》阳货第十七-24

(1)恶:嫌悪
(2)下流:下級の
(3)讪:誹謗
(4)窒:不合理、頑固
(5)赐:子貢のこと
(6)徼:盗む
(7)智:知恵
(8)逊:不遜
(9)讦:他人を攻撃して暴露する

素読文:

こういわく、くんにくむことるか。
いわく、にくむことり。ひとあくしょうするものにくむ。りゅうかみそしものにくむ。ゆうにしてれいものにくむ。かんにしてふさがるものにくむ。いわく、またにくむことるか。
かすめてもっものにくむ。そんにしてもっゆうものにくむ。あばいてもっちょくものにくむ。

解釈:
子貢が孔子に対して、人格者であるべき君子もまた人を憎むことがあるか?と尋ねる。
孔子は、他人の悪事を暴く者。自分の上位者を悪く言う者。勇気があっても礼のない者。果敢であっても道理にかなわない者。君子であっても、こう言う連中を憎む。子貢よ、お前はどうだ。
私は、他人の業績を掠め取り自分のものとする者、不遜であることを勇気と間違えている者、他人の秘密を暴いて正義だと考えている者、こう言う連中を憎みます。