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木鶏

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 安岡正篤「禅と陽明学」を読んでいる。


この本の中に「木鶏」が出てくる。ちょっとご紹介したい。

木鶏の原典は《列子・黄帝篇》だ。
『紀渻子為周宣王養斗鶏,十日而問:「鶏可斗已乎?」曰:「未也;方虚驕而恃気。」十日又問。曰:「未也;猶応影向。」十日又問。曰:「未也;猶疾視而盛気。」十日又問。曰:「幾矣。鶏雖有鳴者,已無変矣。望之似木鶏矣。其徳全矣。異鶏無敢応者,反走耳。」』

闘鶏師・紀渻子が周宣王のために闘鶏を育てる。周宣王は紀渻子にその成長を尋ねる。
紀渻子は以下のように答えている。
十日目:虚驕(きょきょう)にして而して気恃(たの)む。
二十日目:なお影響に応ず。
三十日目:なお疾視(しつし)して而して気を盛んにす。
四十日目:幾(ちか)し。鶏、鳴くもありと雖(いえど)も、已に変ずることなし。之を望むに木鶏に似たり。其の徳全し。異鶏敢(あえ)て応ずるもの無く、反って走らん。

10日目はまだ虚勢を張り、己の気を恃むところがある。
20日目はまだ相手の気勢に応じてしまう。
30日目はまだ相手を睨みつけて気勢を発してしまう。
40日目は相手が威嚇しても応ぜず。木彫の鶏のごとくしている。相手は戦わず逃げ出すだろう。

訓練によりただ所作(技術)を身につけても、強い闘鶏にはならない。徳を全うし初めて最強の闘鶏が完成する。

当然技術を養わなければ、戦えない。戦闘技術を磨いた上で、敵に動揺しないココロを養う。

気迫だけに頼るようでは、相手の戦闘能力が高ければ負ける。
戦闘能力をつけても、相手の気迫に応じて動くようではまだ足りぬ。
相手を威嚇できるレベルになっても、相手の気迫がより強ければ負ける。
威嚇にも平然としていれば、相手が恐れてかかってこない。
ということだ。

本当に力のある者は「泰然自若」としていられる。

安岡師の書籍には「木猫」も出てくる。
木猫がいるだけで、ネズミが逃げてゆく。最強の猫だ(笑)

安岡師はこの話を『知者不言、言者不知』(知る者は言わず、言う者は知らず)という老子の言葉で締めくくっている。