生産改善」カテゴリーアーカイブ

改善の楽しさ

 以前「QCC道場」に参加いただいた経営者様はメンバーに「改善の楽しさ」を体験して欲しいとおっしゃっていた。

西洋哲学では、「我思う、故に我あり」とデカルトが言うように、まずは知識とか理論を重要視する。一方東洋の禅は「只管打坐」と言いまず坐禅の体験を重視する。体験から得られたものが真の教義であり、経典だけでは真の奥義は伝えられない(不立文字)という考え方をする。

先の経営者様と同様に私も東洋哲学派に属する(笑)

頭で理解しても何となく腑に落ちない。体験してみて初めて腑に落ちる。
頭で理解したことは知識として残っても能力にはならないだろう。体験を通して知識が能力に変換されるように思う。

体験の「楽しさ」はどこから生まれるのだろうか。
ずばり「自発性」だと思うがいかがだろう。子供が遊びやゲームに熱中するのは「自発性」があるからだ。教師や親に指示された遊びやゲームにそれ程は熱中しないだろう。そして「達成感」があれば更に熱中度は上がるはずだ。

自発的に取り組む改善は楽しさがあり、その成果が達成感をもたらし更に熱中するはずだ。「楽しさ」を燃料とした止まることがない永久機関となる。


このコラムは、2019年1月28日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第777号に掲載した記事です。

【中国生産現場から品質改善・経営革新】は毎週月曜日に配信している無料メールマガジンです。ご興味がおありの方はこちら↓から配信登録出来ます。
【中国生産現場から品質改善・経営革新】

濡れ雑巾でコンピュータを拭き掃除

 今週のテーマ「出来るを叱らない」に登場した濡れ雑巾でコンピュータを掃除する女子作業員は,本当に実在した.

このくらいで驚いてはいけない.

現場をきちんと観察し,想像力を高めれば,当然予測できる内容だ.
例えば,作業員たちが終業後の掃除をどうやっているか観察していれば,分かるはずだ.

びしょ濡れのモップで床掃除をすれば,梱包箱が濡れる.ダンボールは一度濡れると,その強度が落ちてしまい,乾燥しても復活しない.また中の部材,製品にダメージを与える可能性もある.
材料,半完成品や完成品が入った箱を床に直置きしてはならないと,何度も指導するのはそのためだ.

SARSが流行っていた時も,宿舎や工場の消毒をしたと報告を受けて,すぐにヤバイと感じた.塩素系の消毒液が,電子部品にかかれば信頼性上の深刻なダメージを受ける.

この様な感性を,現場リーダは持つ必要がある.

事故の影に「ヒヤリ・ハット」がある様に,物事にはすべて,正常・異常・事故の三つの状態がある.
正常な状態からいきなり事故は発生しない.必ずなんらかの異常があり,それが直接原因,間接誘因となり事故は発生する.

リーダは,正常と異常の中間にある「正常ではない状態」を感知する感性を持たせなけらばならない.

つまり掃除をするのも,消毒液を散布するのも「正常ではない状態」だ.
正常ではない状態が,安全,品質,生産性に与える影響を予測できるようにする.これは机上の一般論だけでは教えきれない.
OJTで教え,それを水平展開する力を持たせなければならない.


このコラムは、2010年8月に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第165号に掲載した記事に加筆しました。

【中国生産現場から品質改善・経営革新】は毎週月・水・金曜日に配信している無料メールマガジンです。ご興味がおありの方はこちら↓から配信登録出来ます。
【中国生産現場から品質改善・経営革新】

究極のモノづくり

モノ造りの時代
書籍名:ものづくりの時代―町工場の挑戦
著者:小関 智弘
出版社:日本放送出版協会


伊勢神宮の建て替えに使われた和釘は,木材の中に節があってもそれをよけて中に進むそうである.その秘訣は,のの字型をした釘の頭,鉄の鍛え方にある.
こういう和釘が1300年も前から使われている.

こういう和釘は「究極のモノ」と言っても差し支えはないだろう.

私の考えている「究極のモノ造り」は,こういう技術を代々1300年も伝えるということだ.

実はこの和釘を作ってきた伊勢の船大工は,伊勢湾での漁業の衰退と共に,途絶えてしまっている.
現代にこの和釘を蘇らせたのは,新潟・三条の鍛冶屋さんだ.
彼らは「三条鍛冶道場」を作ってこのモノ造りの技術を次の1000年後に伝えようとしている.

この和釘のように古い日本のモノ造りの技術を代々伝えて行くのも「究極のモノ造り」と言えるだろう.
伊勢神宮は20年に一度遷宮により建て替えられている.
世界の遺跡が,建物そのモノを残しているのに対し,日本の遺跡はその建造物のココロや技術を継承しているといえるだろう.

たかが釘,設計技術的にはローテクかもしれないが,モノ造り技術的にはハイテクだ.
こういう技術こそ,日本国内で守ってゆかなければならない技術だと思う.

ものづくりの時代 町工場の挑戦

アマゾンで見ると,この本は既に絶版になっているようです.
このような素晴らしい本がすぐに絶版になってしまうのは大変悲しいものです.

しかし古本が1円から出品されているので,まだ救いはありますね.

町工場・スーパーなものづくり

同じ著者・小関氏による,中小企業モノ造りの書籍

鉄、千年のいのち 

著者の白鷹氏は法隆寺の建て直しの時に和釘を造られました.

国際競争力の再生

国際競争力の再生
書籍名:国際競争力の再生―Joy of Workから始まるTQMのすすめ
著者名:吉田耕作
出版社名:日科技連出版社



デミング博士の名前は,品質関係の仕事に従事する日本人で知らないものはいないであろう.
デミング博士は,戦後日本の製造業に統計的品質管理を教え,日本のモノ造りの基礎を築いた恩人である.彼の名前を冠したデミング賞は,TQM(トータルクオリティマネジメント)の進歩に功績のあった民間の団体および個人に授与される,日本最高峰の栄誉である.

日本人にとっては恩人とも言える,そのデミング博士は,本国のアメリカでは無名の統計数学を教える大学教授であった.

しかし,1980年にNBCが「If Japan can… Why can’t we?」というドキュメンタリー番組を放送し,モノ造りの日本を育てたのがデミング博士であることに光が当てられた.
その後フォードでの指導を始めとし,1993年に亡くなる直前までの10年余りを全米で講演・指導をして回った.

このコラムでご紹介する「国際競争力の再生」の著者吉田耕作教授は,そのデミング博士と一緒に全米を講演して回っていた方だ.
吉田教授は,日本に帰国後「西東京ラウンドテーブル」というTQMの指導をしておられた.ラウンドテーブルでは,いろいろな企業から参加したQCサークルの活動を指導する.私も自部署のサークルを派遣していたので,PTAとして何度か参加した.

参加しているサークルは製造業ばかりではなく,花屋さんなどもあり,相互に大いに刺激しあう活動であった.

「国際競争力の再生」には吉田教授が,米国におられた頃の指導事例も載っている.日本でのQCC活動は,製造業が中心というイメージが強い.それがTQC(トータルクオリティコントロール)になって製造業の間接部門の活動に広がり,TQMとなり製造業ばかりではなく,サービス業にも広がりを見せた.
しかし本書に出ている米国での活動事例は,政府機関の事例だ.
ヒスパニックの移民の犯罪率の高さに手を焼いた政府が取り組んだ活動である.
日本でもそうした事例はあるが,非常に少数派だろう.

高度成長の元となったデミング博士が日本に根付かせたQCC活動を,あらゆる組織に展開した米国は,あっという間に復活し,日本はその後のバブル崩壊から失われた20年の時代へと向かう.

非常に皮肉な話であるが,私にはQualityを「品質」と訳した時から,定められた運命のように思える.

つまりモノの質という連想をさせる「品質」という言葉により,クオリティマネジメントは製造業の仕事と勘違いしたのが間違いの元だった.

一方Qualityという言葉に「モノ」という概念は含まれておらず,米国では製造業ばかりではなく,行政,金融までもがクオリティマネジメントに取り組み,再び強いアメリカを実現させたのだ.

国際競争力の再生―Joy of Workから始まるTQMのすすめ
 

吉田教授が提唱するJoy of Workが,日本の未来の鍵ではないかと考えている.
仕事を楽しめない大人たちの姿を見て育った子供たちが,サラリーマンにはなりたくないと考える.その結果日本には,フリーターやパラサイトと呼ばれる若者があふれている.
彼らに仕事に対する夢や希望がなければ,日本の未来もない.
若者や子供たちの夢や希望が,未来そのものだ.

従業員が苦役として仕事をさせられるのではなく,仕事を工夫し効率を上げ楽に仕事をする.そして仕事を通じて達成感を味わう.そうした従業員の人間性を尊重した活動がTQMである.
Joy of Workを合言葉に,イキイキと会社に出かける大人であることが,子供たちに夢と希望を持たせることになるはずである.