子曰:“三人行,必有我师焉。择其善者而从之,其不善者而改之。”
《论语》述而第七-22
素読文:
子曰く、“三人行えば、必ず我が師有り。其の善き者を択びて之に従い、其の善からざる者にして之を改たむ。”
解釈:
三人で世を渡れば、各々二人の師を持つことになる。善い道づれは手本になるし、悪い道づれは、己を改める刺戟になる。
師とは優れた点を自己に真似るだけではなく、師の欠点を自己に改める対象である。という孔子の教えと理解しました。
子曰:“三人行,必有我师焉。择其善者而从之,其不善者而改之。”
《论语》述而第七-22
素読文:
子曰く、“三人行えば、必ず我が師有り。其の善き者を択びて之に従い、其の善からざる者にして之を改たむ。”
解釈:
三人で世を渡れば、各々二人の師を持つことになる。善い道づれは手本になるし、悪い道づれは、己を改める刺戟になる。
師とは優れた点を自己に真似るだけではなく、師の欠点を自己に改める対象である。という孔子の教えと理解しました。
子所雅言(1),诗书执礼,皆雅言也。
《论语》述而篇第七-18
(1)雅言:古代に使われた共通言語
素読文:
子の雅言する所は、詩・書。礼を執るも皆雅言なり。
解釈:
孔子が毎日語られることは、詩・書・執礼の三つである。この三つだけは実際毎日語られる。
叶公问孔子于子路。子路不对。
子曰:“汝奚不曰,其为人也,发愤忘食,乐以忘忧 ,不知老之将至云尔。”《论语》述而篇第七-19
素読文:
葉公、孔子を子路に問う。子路こたえず。子曰く、女奚ぞ曰わざる、其の人と為りや、憤りを発して食を忘れ、楽しみて以て憂いを忘れ、老いの将に至らんとするを知らざるのみ、と。
《论语》述而篇第七-17
素読文:
子曰く、我に数年を加え、五十にして以て易を学ばば、以て大過無かる可し。
解釈:
孔子曰く:“我に数年寿命を与え、50歳になって易を学べば、大禍なき者となるだろう”
孔子が何歳の時に言った言葉かはわかりませんが、50歳になって易を学べば、大禍なき者になるだろう、と言っています。これは自分自身について言った言葉ではなく、周りの弟子たちに言った言葉の様に思います。多分弟子たちはまだ50歳になておらず、歳をとってからでも学ぶことは重要であり、学ぶべきだと教えたのではないかと愚考します。
《论语》述而第七-14
素読文:
冉有曰く:“夫子は衛の君を為けんか。”
子貢曰く、“諾。吾将に之を問わんとす。”
入りて曰く、“伯夷・叔斉は何人ぞや。”曰く、“古の賢人なり。”曰く、“怨みたるか。”曰く、“仁を求めて仁を得たり。 又何をか怨みん。”
出て曰く、”夫子は為けざるなり。”
解釈:
冉有曰く“孔子は衛の君を援けられるだろうか”
子貢が曰く“私が聞いてみよう”
子貢は孔子の室へや行きたずねた。“伯夷・叔斉はどういう人でしょう”
孔子は答えた「古代の賢人だ」
子貢「二人は自分たちのやったことを、あとでくやんだのでしょうか」
孔子「仁を求めて仁を行なうことができたのだから、なんのくやむところがあろう」
子貢は孔子の部屋から戻り、冉有にいった。「師は衛の君をお援けにはならない」
孔子一行が衞の国に滞在していた頃、衛の父子の関係が悪化していた。戦争になる気配がありそれを心配した弟子たちを子貢が代表して孔子に尋ねた。
孔子は、父子はそれぞれに仁に従って行動しただけだから恨みはないだろうと、戦争にはならないと考えていた様だ。
衛の国王が、不倫の妻を殺したことで、その息子が国外に逃亡。
孔子一行が滞在中にそんなゴタゴタがあり、弟子たちが浮き足だったのでしょう。
《论语》述而篇第七-16
素読文:
子曰く、疏食を飯い水を飲、肱を曲げて之を枕とす。楽しみ亦た其の中に在り。不義にして富み且つ貴きは、我に於て浮雲の如し。
解釈:
孔子曰く“粗食を水で飲み込み、肱を枕にして寝るような貧しい境涯でも、そのなかに楽しみはある。不義によって得た富や位は、私にとっては浮雲のようなものだ”
冉有曰:“夫子为卫君乎”
子贡曰:诺,吾将问之。入,曰:伯夷、叔齐何人也?
曰:古之贤人也。
曰:怨乎?
曰:求仁而得仁,又何怨。出,曰:“夫子不为也。”
《论语》述而篇第七-15
素読文:
冉有曰く、夫子は衛の君を為けんか。子貢曰く、諾。吾将に之を問わんとす。入りて曰く、伯夷・叔斉は何人ぞや。曰く、古の賢人なり。曰く、怨みたるか。曰く、仁を求めて仁を得たり。又何をか怨みん。出て曰く、夫子は為けざるなり。
解釈:
冉有曰く“師(孔子)は衛の君を援けられるだろうか”
子貢曰く“私が師にたずねてみよう”
子貢は孔子の部屋へゆきずねた。
「伯夷・叔斉せいはどういう人でしょう」
孔子曰く「古代の賢人だ」
子貢「二人は自分たちのやったことを、あとでくやんだのでしょうか」
孔子曰く「仁を求めて仁を行なうことができたのだから、なんのくやむところがあろう」
子貢は孔子の部屋から戻り、冉有にいった「師は衛の君を援けないだろう」
子在齐闻韶(1),三月不知肉味。曰:“不图为乐之至于斯也。”
《论语》述而篇第七-13
(1)韶:舜が作ったといわれる古典音楽。
素読文:
子、斉に在りて韶を聞く。三月肉の味を知らず。曰く、“図らざりき、楽を為ることの斯に至らんとは。”
解釈:
孔子は斉に滞在中、韶をきかれた。そして三月の間それを楽しんで、肉の味もわからないほどだった。
孔子曰く“これほどすばらしい音楽があろうとは、思いもかけなかった”
子之所慎:齐(1)、战、疾 。
《论语》述而篇第七-12
(1)齐:物忌み、祭祀の前に斎戒沐浴し、心を整えること。
素読文:
子の慎む所は、斉・戦・疾。
解釈:
孔子が慎んで対処したのは、斎戒と、戦争と、病気の場合であった。
幸にして、現代の日本ではあまり気にしなくてよさそうですが、隣国では『战』『疾』に不安がありそうです。
子曰:“富而可求也,虽执鞭之士(1),吾亦为之。如不可求,从吾所好 。”
《论语》述而篇第七-11
(1)执鞭之士:行列の先頭の露払い役、卑しい仕事の例え
素読文:
子曰く、富にして求む可くんば、執鞭の士と雖ども、吾亦た之を為さん。如し求む可らずんば、吾が好む所に従がわん。
解釈:
子曰く:“もし富が、人として進んで求むべきものならば、私はそれを得るために、喜んで行列の露払いでもやろう。だが、それが求むべきものでないなら、私は自分の好む道に従って人生を過ごしたい”
仕事に富貧貴賎はない、与えられた仕事ならば、露払いでもやる。しかしそれが求める仕事でなければ、自分で好む仕事をしたい。孔子は弟子と共に、仕官すべき君主を探す旅に出ますが、結局孔子の眼鏡に叶う君主は見つけられなかったということでしょう。