子曰:“泰伯其可谓至德也已矣,三以天下让,民无得而称焉。”
《论语》泰伯篇第八-11
素読文:
子曰く、泰伯は其れ至徳と謂う可きのみ。三たび天下を以て譲り、民得て称する無し。
解釈
孔子曰く「泰伯こそは至徳の人というべきであろう。固辞して位をつがず、三たび天下を譲ったが、人民にはそうした事実をさえ知らせなかった」
弟子と共に諸国を巡り、諸侯を補佐しようとしていたが思いが叶わなかった孔子は泰伯の処世に共感したのでしょうか。
子曰:“泰伯其可谓至德也已矣,三以天下让,民无得而称焉。”
《论语》泰伯篇第八-11
素読文:
子曰く、泰伯は其れ至徳と謂う可きのみ。三たび天下を以て譲り、民得て称する無し。
解釈
孔子曰く「泰伯こそは至徳の人というべきであろう。固辞して位をつがず、三たび天下を譲ったが、人民にはそうした事実をさえ知らせなかった」
弟子と共に諸国を巡り、諸侯を補佐しようとしていたが思いが叶わなかった孔子は泰伯の処世に共感したのでしょうか。
子曰:“民可使由之,不可使知之。”
《论语》述而第八-9
素読文:
子曰く、民は之に由しむ可し。之を知らしむ可からず。
解釈:
孔子曰く、“民衆というものは、範を示してそれに従わせることはできるが、道理を示してそれを理解させることはむずかしいものだ。”
孔子が生きていた時代には、一般庶民の子息が学校で教育を受けることなどなかったのでしょう。
現代ならば、道理を理解させなければ範に従うことはないでしょう。
子温而厉,威而不猛,恭而安 。
《论语》述而篇第七-38
素読文:
子は温にして厲し。威ありて猛からず。恭にして泰し。
解釈:
孔子はおだやかで、しかもきびしい人であった。威厳があるが、おそろしい人ではなかった。うやうやしくて、しかも安らかな人であった。
子曰:“奢则不逊,俭则固;与其不逊也,宁固。”
《论语》述而篇第七-35
素読文:
子曰く、奢れば則ち不孫、倹なれば則ち固なり。其の不孫ならんよりは、寧ろ固なれ。
解釈
孔子曰く“奢れる人は不遜になりがちであり、謙虚な人は卑屈になりがちだが、どちらを選ぶなら、不遜であるよりは、まだしも卑屈な方がいい”
子曰:文,莫吾犹人也,躬行君子,则吾未之有得。
《论语》述而篇第七-33
素読文:
子曰く:“文は吾猶お人のごときこと莫からんや。君子を躬行することは、則ち吾未だ之を得ること有らず。”
解釈:
孔子曰く:“典籍の研究は、私も人なみにできると思う。しかし、君子の行いを実践することは、まだなかなかだ”
孔子が「君子の行いがまだできていない」というのは謙遜では無く、あるべき姿が私たちが考えているより遥かに高いということでしょう。
子与人歌而善,必使反之,而后和之。
《论语》述而篇第七-31
素読文:
子、人と歌いて善ければ、必ず之を返さしめて、而る後に之に和わす。
解釈
孔子は誰かと歌をうたわれる場合、相手が善き歌い手だと、必ずその相手にくりかえし歌わせてから、合唱された。
《论语》述而篇第七-28
素読文:
子曰く、“蓋し知らずして之を作る者有らん。我は是れ無きなり。多く聞きて其の善き者を択びて之に従い、多く見て之これを識すは、知るの次なり。”
解釈
孔子曰く:“無知で我流の新説を立てる者もあるらしいが、私はそんなことはしない。私はなるべく多くの人の考えを聞いて取捨選択し、なるべく多く実際を見てそれを心にとめておき、判断の材料にするようにつとめている。むろん、それではまだ真知とはいえないだろう。しかし、それが真知にいたる途なのだ”
現代では、分からないことはネットで検索すればすぐに答えは見つかります。さらに検索を重ねれば、いろいろな答えや解釈が見つかります。私たちは孔子の時代の知識人より多様な解釈の中から自分の考えに合うものを選ぶことができると言ってよさそうです。
子曰。:天生德于予。桓魋(1)其如予何。
《论语》述而篇第七-22
(1)桓魋:宋の大夫、向魋。司馬(軍務大臣)の位にあった。宋に来た孔子を殺そうとした。司馬牛の兄。
素読文:
子曰く、天、徳を予に生ぜり。桓魋其予を如何せん。
解釈:
宋の大夫、向魋。司馬(軍務大臣)の位にあった。宋に来た孔子を殺そうとした。
孔子曰く:“私は天に徳を授かった身だ。桓魋などが私をどうにもできるものではない”
《论语》论语述而篇第七-26
素読文:
子、釣して綱せず。弋して宿を射ず。
解釈:
釣りをする時は網を使って一網打尽にすることはしない。
矢を射て鳥をとられることはあったが、鳥を巣ごと一網打尽に捕らえることはなかった。
子以四教:文、行、忠、信。
《论语》述而篇第七-25
素読文:
子は四を以て教う。文・行・忠・信。
解釈:
孔子は四つの科目により指導した。文献の研究、行動、忠誠、信義の四科目だ。