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正直vs親切

yuē:“shúwèi(1)wēishēnggāo(2)zhí(3)huòxiān(4)yānzhūlínérzhī。”

《论语》公冶长第五-24

(1)孰谓:誰が〜と言うか
(2)微生高:魯の人。姓は微生、名は高。正直者として有名。
(3)直:正直な人
(4)酰:酢

素読文:

いわく:“たれせいこうちょくなりとうや。あるひとけいう。これとなりいてこれえたり。”

解釈:

孔子曰く:“誰が微生高を正直者などと言っているのか?彼は酢を借りにきた者に、隣からもらって与えたのだ。”

酢を借りにきた者に「今はないから隣で借りろ」とだけ言うより、自分で隣に借りに行ってやる方が親切だと思うのですが。

愚はおよぶべからざるなり

yuē:“nìng(1)bāngyǒudào(2)zhìbāngdào(3)zhì。”

《论语》公冶长篇第五-21

(1)宁武子:衛の大夫。姓は宁、名は、武はおくりな。暗愚な成公に仕えたが、よく助けた。
(2)邦有道:国が秩序よく治っている
(3)无有道:国の秩序が乱れている

素読文:

いわく:“ねい武子ぶしは、くにみちればすなわくにみちければすなわなり。およぶべきなり。およぶべからざるなり。

解釈:

子曰く:“寧武子は国が治まっているときは、その手腕を認められ知者と言われたが、国が乱れている時は、愚者と言われた。知者としての振る舞いは真似できるが、愚者の役割を引き受けるのは難しかろう”

愚者として振る舞うことにより君主の悪政を庇った、と言うことなのでしょうか。
本当の知者ならば、君主の悪政を諌め善政に導くべきだと考えるのは理想論に偏りすぎでしょうか。

二度考えれば十分

wén(1)sānérhòuxíngwénzhīyuē:“zài。”

《论语》公冶长篇第五-20

(1)季文子:魯の国の家老。姓は季孫、名はこう、文子はそのおくりな。宣公・成公・襄公の三君のときの宰相

素読文:
ぶんたびおもいてしかのちおこなう。これきていわく、“ふたたびせばなり。”

解釈:
季文子は何事も三たび考えてから行なった。孔子はそれを聞いていわれた。“二度考えたら十分だ”

何事も熟考の上、行動することが必要ですが、孔子は考えるのは二度までにしておけ、と言っています。三度考えている間に、状況が変わってしまうこともあるでしょう。
二度考えて答えが違っていれば、三度目を考える必要がありそうですが。

臧文仲

yuēzāngwénzhòng(1)(2)cài(3)shānjiézǎozhuózhì

《论语》公冶长第五-18

Created By 音読さん

(1)臧文仲:魯の大夫。姓は臧孫、名は辰、あざなは仲、文はおくりな。魯の大夫。孔子の出生より六十六年前に死去。当時、知者として知られた。
(2)居:おさめる
(3)蔡:占いに用いる大きな亀の甲。天子が用いるものであり、大夫の臧文仲には分不相応。

素読文:
いわく:“ぞうぶんちゅうさいき、せつやまにし、せつそうす。何如いかんならんや。”

解釈:

孔子曰く“臧文仲は、諸侯でもないのに、国の吉凶を占う蔡をもっている。しかもそれを置くせつには山の形をきざみ、せつには水草の模様を描いているが、それは天子の廟の装飾だ。世間では彼を知者だといっているが、こんな身のほど知らずが、なんで知者といえよう”

孔子は「蔡」を所有している臧文仲を分不相応と批判しています。
臧文仲は自らの領地の安寧を願って占いをしていたのでしょう。