叶公问孔子于子路。子路不对。
子曰:“汝奚不曰,其为人也,发愤忘食,乐以忘忧 ,不知老之将至云尔。”《论语》述而篇第七-19
素読文:
葉公、孔子を子路に問う。子路こたえず。子曰く、女奚ぞ曰わざる、其の人と為りや、憤りを発して食を忘れ、楽しみて以て憂いを忘れ、老いの将に至らんとするを知らざるのみ、と。
叶公问孔子于子路。子路不对。
子曰:“汝奚不曰,其为人也,发愤忘食,乐以忘忧 ,不知老之将至云尔。”《论语》述而篇第七-19
素読文:
葉公、孔子を子路に問う。子路こたえず。子曰く、女奚ぞ曰わざる、其の人と為りや、憤りを発して食を忘れ、楽しみて以て憂いを忘れ、老いの将に至らんとするを知らざるのみ、と。
《论语》述而篇第七-17
素読文:
子曰く、我に数年を加え、五十にして以て易を学ばば、以て大過無かる可し。
解釈:
孔子曰く:“我に数年寿命を与え、50歳になって易を学べば、大禍なき者となるだろう”
孔子が何歳の時に言った言葉かはわかりませんが、50歳になって易を学べば、大禍なき者になるだろう、と言っています。これは自分自身について言った言葉ではなく、周りの弟子たちに言った言葉の様に思います。多分弟子たちはまだ50歳になておらず、歳をとってからでも学ぶことは重要であり、学ぶべきだと教えたのではないかと愚考します。
《论语》述而第七-14
素読文:
冉有曰く:“夫子は衛の君を為けんか。”
子貢曰く、“諾。吾将に之を問わんとす。”
入りて曰く、“伯夷・叔斉は何人ぞや。”曰く、“古の賢人なり。”曰く、“怨みたるか。”曰く、“仁を求めて仁を得たり。 又何をか怨みん。”
出て曰く、”夫子は為けざるなり。”
解釈:
冉有曰く“孔子は衛の君を援けられるだろうか”
子貢が曰く“私が聞いてみよう”
子貢は孔子の室へや行きたずねた。“伯夷・叔斉はどういう人でしょう”
孔子は答えた「古代の賢人だ」
子貢「二人は自分たちのやったことを、あとでくやんだのでしょうか」
孔子「仁を求めて仁を行なうことができたのだから、なんのくやむところがあろう」
子貢は孔子の部屋から戻り、冉有にいった。「師は衛の君をお援けにはならない」
孔子一行が衞の国に滞在していた頃、衛の父子の関係が悪化していた。戦争になる気配がありそれを心配した弟子たちを子貢が代表して孔子に尋ねた。
孔子は、父子はそれぞれに仁に従って行動しただけだから恨みはないだろうと、戦争にはならないと考えていた様だ。
衛の国王が、不倫の妻を殺したことで、その息子が国外に逃亡。
孔子一行が滞在中にそんなゴタゴタがあり、弟子たちが浮き足だったのでしょう。
《论语》述而篇第七-16
素読文:
子曰く、疏食を飯い水を飲、肱を曲げて之を枕とす。楽しみ亦た其の中に在り。不義にして富み且つ貴きは、我に於て浮雲の如し。
解釈:
孔子曰く“粗食を水で飲み込み、肱を枕にして寝るような貧しい境涯でも、そのなかに楽しみはある。不義によって得た富や位は、私にとっては浮雲のようなものだ”