月別アーカイブ: 2023年10月

孔子、南子にまみゆ

jiànnán(1)yuèshǐ(2)zhīyuē:“suǒfǒuzhětiānyànzhītiānyànzhī。”

《论语》雍也第六-28

(1)>南子:衛霊公の婦人。品行に問題があったとされる。
(2)矢:誓う

素読文:

なんまみゆ。子路しろよろこばず。ふうこれちかいていわく、“しからざるところあらば、てんれをてん。てんこれを厭ん。”

解釈:

孔子が衛の南子にあったことを子路が嬉しく思わなかった。孔子は誓って曰く“もし自分にやましいことがあれば、天が放っておかないだろう”

衛霊光の婦人であるからには、とかくの噂があっても礼は尽くさねばならないだろう。剛直な子路が南子に挨拶したことを咎めると、孔子は「もし私の行為が間違っていれば、お前に言われるまでもなく天が罰するはずだと、軽く交わした。というシーンなのでしょう。

觚ならず

yuē:“(1)zāizāi”。

《论语》雍也第六-25

(1)觚:かどのある酒杯。容量は当時の二升(約0.4リットル)であったという。

素読文:

いわく“ならず。ならんや、ならんや。”

解釈:

觚は普段使いの酒器ではなく、祭礼などに使うものだったのでしょう。孔子は祭礼に角のない酒器が使われているのを見て嘆いた、ということでしょうか。
論語には「形式」を重んじる言葉がいくつか出てきます。過度に型式を重んじると、進歩が阻害されると、凡人は愚考しております。

学びの道とは

yuē:“jūnxuéwényuēzhīpàn。”

《论语》雍也篇第六-25

素読文:

いわく、“くんひろぶんまなび、これやくするにれいもってせば、またもっそむかざるべきか。”

解釈:

子曰く“君子はひろく書籍を学んで知見をゆたかにするだけでなく、礼に従って実践しその知見を自分のものになければならない。それを実践できてはじめて学問の道にそむかないといえる。”

多くの書籍を読んでいても、書籍から得た知識を実践できなければ識者とは言えない、ということでしょう。

君子は騙せるか

zǎiwènyuē:“rénzhěsuīgàozhīyuējǐngyǒurén yāncóngzhī?”
yuē:“wéiránjūnshìxiànwǎng。”

《论语》雍也篇第六-24

素読文:

さいいていわく、仁者じんしゃこれげてせいひとりとうといえども、これしたがわん。
いわく、なんれぞしからんや。くんかしむきなり。おとしいからざるなり。あざむきなり。からざるなり。

解釈:

宰我が「仁者は、もしも井戸の中に人がおちたと言えば、すぐに井戸に飛び込んで助けるでしょうか」と孔子に尋ねた。
孔子曰く「どうしてそんなことをするだろうか。君子はだまされて井戸まで行くかもしれない。しかし、陥れることはできない。人情に訴えてあざむくことはできても、正しい判断力は失わないだろう」