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電動自転車バッテリィ回収

 パナソニックサイクルテックは23日、電動アシスト自転車用バッテリーパック約14万個をリコール(回収・無償交換)すると発表した。設計上の問題があり、駐輪中に発火して自転車を焦がすなどの事故が13件確認されている。人的被害は報告されていないという。

 同社のバッテリーパックはこれまでに3回、リコールされており、今回の分を含めて対象は計約55万個になった。

 今回のリコールの対象は、過去にも対象となった21品番のうち2015年1~8月に製造されたものと、新たに対象となった2品番のうち15年8月~17年7月に製造されたもの。

 リチウムイオン電池による発煙、発火事故はいまだに頻発している感がある。リチウムイオン電池はもともと筋の悪い技術なのだろう。発煙、発火、火傷等事故が絶えない。大昔のことだが、工業製品にリチウム電池を採用する計画があり、当時若手エンジニアだった私にリチウム電池を調査する様上司から指示された。社内の図書室には参考になる書籍がなく、休日に近隣の市立図書館に行き調べてみた。当時はリチウムイオン電池ではなく、リチウム固体電池だったと記憶している。その評価手法に、リチウム電池をショットガンに詰めて樫の厚板に向けて射出するという乱暴な評価が記されていた。リチウム電池の採用に対し相当保守的なレポートを書いたが、計画通り新規製品にリチウム電池は採用された。

後にリチウムイオン電池が携帯電話に採用され、事故のニュースが頻繁に流れたが、採用したリチウム電池の事故は聞かなかった。

個人的に使用していたPC、腕時計、携帯端末は幾度となく故障した。幸い火災は発生しなかったが、電池が膨張しノートPCのタッチパネルが操作できなくなる、アップルウォッチは電池が膨張しベゼルに隙間ができた。

最近のPC、タブレット、マウスなどは何らかの対策ができている様で、故障や回収の話はほとんど聞かなくなった。消費電力の小さな製品には何らかの対策ができる様になったのか?それとも充電時に電池に負荷をかけない様な仕組みができているのだろうか?

もしその様な技術があるのならば、自転車メーカも採用すべきだろう。

■■ 編集後記


このコラムは、2024年5月1日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第1593号に掲載した記事です。

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【中国生産現場から品質改善・経営革新】

泰伯は至徳なり

yuē:“tàiwèizhìsāntiānxiàràngmínérchēngyān。”

《论语》泰伯篇第八-11

素読文:

いわく、泰伯たいはくとくきのみ。たびてんもっゆずり、たみしょうするし。

解釈

孔子曰く「泰伯たいはくこそは至徳の人というべきであろう。固辞して位をつがず、三たび天下を譲ったが、人民にはそうした事実をさえ知らせなかった」

弟子と共に諸国を巡り、諸侯を補佐しようとしていたが思いが叶わなかった孔子は泰伯の処世に共感したのでしょうか。

民はこれによらしむべし

yuē:“mín使shǐyóuzhī使shǐzhīzhī。”

《论语》述而第八-9

素読文:

いわく、たみこれよらしむし。これらしむからず。

解釈:

孔子曰く、“民衆というものは、範を示してそれに従わせることはできるが、道理を示してそれを理解させることはむずかしいものだ。”

孔子が生きていた時代には、一般庶民の子息が学校で教育を受けることなどなかったのでしょう。
現代ならば、道理を理解させなければ範に従うことはないでしょう。

泰にして安し

wēnérwēiérměnggōngérān

《论语》述而篇第七-38

素読文:
おんにしてはげし。ありてたけからず。きょうにしてやすし。

解釈:
孔子はおだやかで、しかもきびしい人であった。威厳があるが、おそろしい人ではなかった。うやうやしくて、しかも安らかな人であった。

むしろ固なれ

yuē:“shēxùnjiǎnxùnnìng。”

《论语》述而篇第七-35

素読文:

いわく、おごればすなわそんけんなればすなわなり。そんならんよりは、むしなれ。

解釈

孔子曰く“奢れる人は不遜になりがちであり、謙虚な人は卑屈になりがちだが、どちらを選ぶなら、不遜であるよりは、まだしも卑屈な方がいい”

実践躬行

yuēwényóuréngōngxíngjūnwèizhīyǒu

《论语》述而篇第七-33

素読文:
いわく:“ぶんわれひとのごときことからんや。くんきゅうこうすることは、すなわわれいまこれることらず。”

解釈:
孔子曰く:“典籍の研究は、私も人なみにできると思う。しかし、君子の行いを実践することは、まだなかなかだ”

孔子が「君子の行いがまだできていない」というのは謙遜では無く、あるべき姿が私たちが考えているより遥かに高いということでしょう。

rénérshàn使shǐfǎnzhīérhòuzhī

《论语》述而篇第七-31

素読文:

ひとうたいてければ、かならこれかえさしめて、しかのちこれわす。

解釈

孔子は誰かと歌をうたわれる場合、相手が善き歌い手だと、必ずその相手にくりかえし歌わせてから、合唱された。

真知に至る道

yuē:“gàiyǒu>bùzhīérzuòzhīzhěshìduōwénshànzhěércóngzhīduōjiànérzhìzhīzhīzhī。”

《论语》述而篇第七-28

素読文:

いわく、“けだらずしてこれを作る者有らん。我はれ無きなり。多く聞きてき者をえらびて之にしたがい、多く見て之これをしるすは、知るの次なり。”

解釈

孔子曰く:“無知で我流の新説を立てる者もあるらしいが、私はそんなことはしない。私はなるべく多くの人の考えを聞いて取捨選択し、なるべく多く実際を見てそれを心にとめておき、判断の材料にするようにつとめている。むろん、それではまだ真知とはいえないだろう。しかし、それが真知にいたるみちなのだ”

現代では、分からないことはネットで検索すればすぐに答えは見つかります。さらに検索を重ねれば、いろいろな答えや解釈が見つかります。私たちは孔子の時代の知識人より多様な解釈の中から自分の考えに合うものを選ぶことができると言ってよさそうです。

天、徳を我に生ぜり

yuē。:tiānshēnghuántuí(1)

《论语》述而篇第七-22

(1)桓魋:宋の大夫、向魋しょうたい。司馬(軍務大臣)の位にあった。宋に来た孔子を殺そうとした。司馬牛の兄。

素読文:

いわく、てんとくわれしょうぜり。桓魋かんたいそれわれ如何いかんせん。

解釈:

宋の大夫、向魋しょうたい。司馬(軍務大臣)の位にあった。宋に来た孔子を殺そうとした。
孔子曰く:“私は天に徳を授かった身だ。桓魋かんたいなどが私をどうにもできるものではない”

狩猟の心得

diàoérgāngshè宿xiǔ

《论语》论语述而篇第七-26

素読文:

つりしてこうせず。よくして宿しゅくず。

解釈:

 釣りをする時は網を使って一網打尽にすることはしない。
矢を射て鳥をとられることはあったが、鳥を巣ごと一網打尽に捕らえることはなかった。