月別アーカイブ: 2020年1月

課題達成型QCC活動

 仕入先工場と合同でQCC活動をしているお客様がある。今回第4期目となる。

金属加工職場のサークルが生産計画を達成するための活動に取り組んでいる。
現状把握で、複数ある工程の内NC加工2工程の日産能力が生産計画に対し不足している事を確認。

原因分析の中間発表で以下のように説明した。
 ・NCマシンの刃具の交換が多い。
 ・刃具の移動速度が遅い。
以上が日産能力不足の要因であり、検証のため刃具の交換頻度を減らす。刃具の移動速度を上げる。と言う検証実験をした。その結果二つの要因が生産能力不足の原因である。

検証するまでもなく、刃具の交換回数を減らせば加工時間は減るし、刃具の移動速度を上げれば加工時間は減る。当たり前のことを手間暇かけてQCC活動にしている。

QCC活動の「問題解決型」QCCストーリィがテーマ選定、現状把握、目標設定、原因分析、対策検討・実施、効果確認、歯止め、反省と今後の取り組み、となっているので、無理やりそれに合わせようとして無理な展開となっている。

こう言う事を続けていると「発表のための活動」になってしまい、活動への熱意が冷めてしまうことになる。

この活動の場合は「課題達成型」のQCストーリィを活用すれば良い。
生産計画に合わせた日産生産台数が理想状態であり、理想状態を実現する方法を検討する、と言うストーリィになる。
つまり加工が「遅い原因」を分析・検証するのではなく、「速く加工」する方法を考えれば良い。

このサークルメンバーにも「課題達成型」のQCストーリィを教えてあったが腑に落ちていなかったのだろう。個別の指導で理解できたようだ。

教える側であっても気付きや成長があるモノだ。
相手が理解できないと考えていると教える側に気付きも成長もない。
教え方に問題があると「自責」で考えれば気付きが得られる。


このコラムは、2019年6月14日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第836号に掲載した記事に加筆しました。

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目標設定

 先週末は、東莞和僑会「マネジメント塾・改善交流会」に出席した。

東莞和僑会年間会員企業の中国人幹部が参加して「方針管理・目標管理勉強会」を3年間開催した。各社の幹部・中堅中国人社員の育成を目的としている。
方針管理・目標管理の展開方法を年間を通して実践する勉強会だ。
方針・目標を達成するための現場力を鍛えるため、2年目からは順に会員企業の現場で開催している。現場で交流することにより、相互に学び合う事を目的としている。

この勉強会を通して中国人幹部の知識向上だけではなく、目標達成のコミットメントが格段に上がった。総経理から与えられた目標ではなく、自ら決めた目標だ。他人事ではなくなる。

4年目の今年から、更に内容を深め各社テーマを決めて現場の改善事例を相互に発表する形とした。今年の参加企業は5社だ。改善事例を聞きその現場を見学しディスカッションする形式だ。

ディスカッションが想定以上に活発となり、時間が押してしまうという嬉しい誤算があった。多分今までに他社の現場を見学し、改善事例を話し合うという経験がなかったのだろう。

その後各社混合で3チームに分けて取り組むべき課題をディスカッションし、発表。その後社内で議論して取り組む改善課題を決定してもらう。

交流会の中で改善目標の立て方について考えて見た。
年度計画を立て改善活動をする時に、人員削減前年比〇〇%、不良損失金額削減〇〇%という目標を立てるのが一般的だと思う。

生産性向上、多能工化などの具体的改善施策の結果を評価する時に人員削減を使う。同様に品質改善の評価に不良損失金額を使う。これは合理的だと思う。

しかしよく考えると、売り上げが下がれば必然的に人員削減をしなければならない。または売り上げが上がれば、不良率を下げても損失金額が下がらない事がありうる。

売り上げ金額も年度計画に入っているだろうが、計画は計画だ。市況により売り上げ金額は左右されてしまう。売り上げ金額は自社だけではコントロールできない。市場や顧客による影響が大きい。改善活動を実践する部門にとって追い風にも向かい風にもなりうる。

極端なことを言えば、不良損失金額をゼロにするための最も簡単な方法は生産しない事だ(笑)

例えば人員削減を目標とするではなく、一人当たりの生産性を目標とする。
損失金額を目標とするのではなく、損失金額を売り上げ比率で目標とする。
こういう目標であれば、追い風、向かい風の風向きに関係なく改善の評価が出来るだろう。


このコラムは、2019年3月18日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第798号に掲載した記事を改題・加筆しました。

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制約がアイディアを生む

 問題や課題を解決するためにアイディアを考える。つまり不良が発生する、生産性が低い、という問題があるからその対策を考える。従って問題があるからアイディアが生まれると考えてもよかろう。

しかしアイディアを考える過程でしばしば「抵抗勢力」に襲われる(笑)
抵抗勢力とは大袈裟だが、皆で改善方法のアイディアを考えている時にこんな会話になっていないだろうか?

「金がかかりすぎる」「技術的に難しい」「時間が足りない」「前例がない」難しい顔をした年寄りばかりでなく、元気溌剌の若手もこういう抵抗勢力側に回ったりする(苦笑)

しかしよく考えたい。何も制約がなければ、既に誰もがアイディアを思いつき実行に移しているはずだ。そんな凡庸なアイディアに価値はない。

金がかかりすぎるから、金がかからないアイディアを考える。
技術的に難しいから、今の技術水準を超えるアイディアを考える。
時間が足りないから、もっと深くアイディアを考える。
前例がないからこそ革新的アイディアとなるはずだ。

制約こそがアイディアを磨き、人を鍛錬する。


このコラムは、2019年3月29日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第803号に掲載した記事に加筆しました。

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後悔と反省

 帰国中の楽しみ、古本屋巡りで見つけた本にこんなことが書いてあった。

「潜水艦に魚雷を打ち込まれた巡洋艦は、責任追及の会議はしない。沈没せず帰還することをまず優先させる」

「鋼のメンタル」百田尚樹著

当たり前といえば当たり前の話だが、私たちの仕事の中で会議が責任追及になっていないか考えて見る価値がありそうだ。

昔こんなコラムを書いた。
「誰のせい?」

私たちの仕事で、命に関わる緊急の課題はほとんどない。
しかし問題が発生した時に会議を開催したり、会議で問題を取り上げることはしばしばあるはずだ。

発生した問題の責任追及をしても、責任逃れの議論になるだけだ。
そして責任を押し付けられたものは後悔することになる。
しかし私たちが本当に優先しなければならないこと「沈没せずに帰還すること」に焦点を当てれば、後悔などしている暇はない。

発生した問題の原因を追求し、いかにリカバーするか、再発しない様に何をするか考えねばならない。
これが本当の意味の反省だ。しかし後悔は何も価値を生まない。


このコラムは、2019年3月8日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第794号に掲載した記事に加筆しました。

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孔子

君子求諸己

yuē:“jūnqiúzhūxiǎorénqiúzhūrén。”

《论语》卫灵公第十五-21

素読文にすると、
わく:“くんこれおのれもとめ、しょうじんこれひともとむ。”
となる。

普通に解釈するとこうなるだろう。
君子は自分の身に起きた全ての出来事に対して謙虚に受け止め自分自身に責任を求め反省をする。しかし、小人は他人の命によって行動し、失敗すれば他人のせいにして反省をしない。

人が人として生きていく人生哲学だと思う。高邁な孔子の教えを「問題解決」の場面で考えてみたい。卑近なアプローチだが、論語研究者の方々には暴挙をお許し願いたい(笑)

発生した問題を「他責」で考えない。問題を全て「自責」で考えるのが、問題解決の第一歩だ。

例を挙げよう。
「注文が多くて、納期が間に合わない」
この問題は「他責」になっている。注文が多いのは、お客様の都合であり、解決不可能だ。

問題を正しく定義すれば、
「生産能力が不足しており、納期が間に合わない」
となるはずだ。問題をこのように定義すれば、解決課題はいくつも見つかる。

もう一つ例を挙げてみよう。
「作業員の品質意識が低くて、人為ミスが多発する」
「作業員の品質意識が低い」は作業員の問題であり「他責」だ。この問題を解決するため、品質意識向上の活動をすれば、人為ミスは減るだろうか?たぶん余り効果はないだろう。まず品質意識はどうやったら高まるか?と言う難題と直面する事になる。教育(お仕置き)をすれば、品質意識が高まるのであれば簡単だが。そんな魔法はない。

「自責」で問題を定義すれば、作業方法,環境、設備等が人為ミスを誘発している、となるだろう。この様に問題定義をすれば、作業手順、作業環境、設備などの改善を思いつくはずだ。


このコラムは、2017年6月5日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第531号に掲載した記事に加筆しました。

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牛刀割鶏

zhī(1)chéng(2)wénxián(3)zhīshēng(4)wǎněr(5)érxiàoyuē:“yānyòngniúdāo?”
yóu(6)duì(7)yuē:“zhěyǎn(8)wénzhū(9)yuē:‘jūnxuédàoàirénxiǎorénxuédào使shǐ(10)。’”
yuē:“èrsān(11)yǎnzhīyánshìqiányánzhī(12)ěr(13)。”

《论语》阳货第十七-4

(1)之:行く。
(2)武城:魯国の小さな町。子游が武城の宰相を務めていた。
(3)弦歌:琴の音に合わせて歌う。
(4)夫子:孔子に対する尊称。
(5)莞尔:微笑する。
(6)子游:孔門十哲のひとり。姓は言、名は偃、呉の人。
(7)对:(目上の人に対して)答える。
(8)偃:子游の名。
(9)诸:これ。後ろの“君子学道则爱人,小人学道则易使也”を指す。
(10)易使也:従順になりやすい。
(11)二三子:弟子たちに呼びかける言葉。
(12)戏之:冗談を言う。
(13)耳:〜しただけ。

素読文:
子、じょうき、げんこえく。ふうかんとしてわらいてわく、にわとりくに、いずくんぞぎゅうとうもちいん。
ゆうこたえてわく、昔者むかしえんや、これふうく。わく、くんみちまなべばすなわひとあいし、しょうじんみちまなべばすなわ使つかやすし、と。
わく、さんえんげんなり。前言ぜんげんこれたわむれしのみ。

解釈:
武城を歩くと弦歌の声が聞こえる。孔子は、微笑みながら「鶏を割くのに牛刀を使うまでもなかろう」と言われた。
子游は「以前私は、師から「為政者が道を学び民を愛し、民が道を学べば、治めやすい」と学びました」と孔子にいう。
孔子は、門人たちに向かって「子游のいう通りだ。今私が言ったのは冗談だ」と言った。

門人の子游が治めていた武城の街を歩くと、人々の文化の高さや治安の良さを感じた孔子は、嬉しくなり思わず「牛刀割鶏」と言ってしまったのでしょう。

日本語人材

 先週末は深圳で勉強会に参加した。
リクルート中国の求人・求職実績データから最近の人材動向に関する分析を講演していただいた。

深圳における日系企業の日本語人材の求人は、2015年下期に大きな落ち込みがあったが、その後順調に回復しているようだ。求人競争は厳しくなっているが、日系企業の勢いが増しているということであり、喜ばしいことだ。中国全土で見ると、特に電気・電子・精密メーカの求人数の増加が多い。

しかし日本語人材の求職者は減少傾向にあるようだ。
では、その日本語人材はどこに行っているのか?講師の説明では中国のスマホメーカに流れているという。
ということは、

  • 中国スマホメーカが技術力向上のために日本人技術者を雇用し始め、通訳の需要が増えている?
  • 中国スマホメーカが日本企業に売り込むために日本語営業を強化している?

非常に興味深い。たまたまエレベータに同乗した講師に直接質問してみた。
私の予測とは全く異なるようだ。

中国スマホメーカに流れている日本語人材は、技術通訳ではない。営業職に就く人が多いという。しかも日本語で営業をする仕事ではない。彼ら、彼女らは日本語能力を活用するわけではないそうだ。日本語能力を捨ててでも、中国スマホメーカに就職したいということだ。

これは衝撃だった。
日系企業に勤めれば、待遇面や福利面で中国企業よりも条件が良い。そのため日本語を学ぶ人があると考えていた。日本語を学んだのにその能力を活用するチャンスがない中国企業に勤めたい人が増えている。
ということは、日系と中国企業間の福利・待遇の差がなくなった、むしろ逆転してしまったということだろうか?
または、経営幹部を日本人が占めている日系企業の「上昇空間」が狭いことによるのだろうか?

福利・待遇を厚くするのは、経営的に限界がある。
何らかの対策を考えねばならないだろう。

私の周りの優秀な日系企業を観察すると、以下のような特徴がある。

  • 日本語人材を雇用するのではなく、優秀な人材に日本語習得のチャンスを与えている。
  • 日本人の経営幹部を減らしている。
  • 能力の高い中国人人材に幹部登用のチャンスを与えている。

日本語人材は日本語のプロであり、必ずしも企業の業務や技術に精通しているわけではない。日本人→通訳→従業員の間で各々50%は情報のロスがある。トータルで25%しか伝わっていないと考えていた方が良いだろう。同じ言語であっても伝言ゲームをすれば、情報の劣化が発生するものだ。であれば、仕事ができる人に日本語を教える方がロスは少なくなる。

以前指導していた日系企業では、部長職の中国人に人事権が与えられていなかった。「部長」という肩書きだけではモチベーションは上がらないし、仕事を通して成長する範囲も狭いだろう。中国人幹部の上昇空間が少なければ、優秀な人財の確保は難しくなるだろう。


このコラムは、2017年9月22日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第566号に掲載した記事です。

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漱石山脈

 漱石山脈とは、夏目漱石の元に集まった人々の人脈を言う。
小宮豊隆、鈴木三重吉、森田草平、内田百間、野上弥生子、芥川龍之介、久米正雄らの小説家の他に、阿部次郎、安倍能成、和辻哲郎などの学者もいた。そうそうたる人たちが、夏目漱石の自宅・書斎に集まり様々な議論をしていた。

集まった人々は、漱石に教えを乞うと言う訳ではなかった様だ。
芥川龍之介は、当時をこう思い返している。「木曜会では色々な議論が出ました。小宮先生などは、先生に喰ってかかることが多く、私達若いものは、はらはらしたものです。」
多分漱石自身もそう言う議論を楽しんでいたのだろう。参加者は漱石門人と言う訳ではなく、老少に関わりなく様々な話題を語り合う関係だったのだろう。

参加者の中に寺田寅彦もいる。寺田は随筆家であり俳人としても知られているが、本来物理学者だ。金平糖の形状に関する研究から、X線による結晶解析、統計力学など先進的な研究をしている。
文人ばかりではなく多方面の人が集まって、議論を展開していたのだろう。

こういう環境を非常に羨ましく思う。
サラリーマンだった頃、地域の人たちとパソコン通信でつながった。これは志があって始めた事ではない。社外の人との飲み会、と言うノリだった(笑)

独立後、中国に赴任している経営者・経営幹部と中国人人財の育成に関するテーマで毎月1回勉強会を始めた。2年程続けたが、仕事が忙しくなり継続出来なくなった。会場手配、開催案内の配信を一人でやっていれば、忙しくなると今月は休会と言う事になる。それが続くと継続が難しくなる。
今考えると、もっと緩~くやっていれば良かったのかも知れない(笑)

今は「東莞山脈」と読んでも良さそうな、東莞和僑会で定期的に勉強会をしている。

このメールマガジンも「○○山脈」とは言えなくても、自由闊達な議論の場になると良いなぁと考えている。発行者→読者と言う一方向のコミュニケーションだけではなく、発行者⇔読者の双方向のコミュニケーションにならないかと考えた。

私が好き勝手なテーマで書くのではなく、誰かがテーマを提供し、読者が自由に投稿する。これは相当面白そうだが、メールマガジンと言う媒体では難しいかも知れない。微信(ウィチャット)の様なSNSでやると面白いだろう。たまには、オフラインで酒でも酌み交わしながら歓談する。

こう書いていてなんだかワクワクして来た(笑)
ご興味がおありの方は是非このメールにご返信いただきたい

漱石山脈:「知的文章術」:外山滋比古著(P197参照)


このコラムは、2017年10月6日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第572号に掲載した記事です。

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水魚の交わり

 「我に孔明あるはなお魚の水あるが如し」三国志の劉備が諸葛孔明を称して言った言葉である。

魏の曹操、呉の孫権、蜀の劉備が活躍した三国志の時代、劉備には関羽、張飛という勇将がいたが、作戦参謀たる人財がいなかった。誰にも仕官せず野にあった諸葛孔明を三顧の礼をもって迎え入れる。その後の諸葛孔明の活躍は三国志にある通りだ。

蜀の劉備に諸葛孔明がなければ、魏か呉のどちらかに蜀は滅ぼされ三国志は書かれなかっただろう。

劉備の劉備たる所以は、義兄弟・関羽、張飛と君臣水魚の諸葛孔明がいたからだと思う。

私が私であることは,私自身で決められることではない。
両親をはじめとする先祖があって私があり、上司や部下、友人、仕事関係の人々などとの関係によって、私が存在する。

人類にとって酸素があることが当たり前である。魚にとって水があることが当たり前だ。しかしその当たり前のおかげで、人も魚も生きることができる。当たり前を感謝しなければならない。


このコラムは、2019年5月6日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第819号に掲載した記事に加筆修正しました。

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終身雇用

 トヨタ自動車・豊田社長は「今の日本(の労働環境)を見ていると雇用をずっと続けている企業へのインセンティブがあまりない」と指摘し、「現状のままでは終身雇用の継続が難しい」と発言している。

この発言に対し河合薫さんはご自身のメルマガ「社会の窓」で、終身雇用は悪とするのは三流経営者だと酷評しておられる。

ところで終身雇用という制度は本当に存在したのだろうか?
昔は大店の番頭さんとか、武家の家臣などは終身雇用で働いていたように思う。しかし大部分の雇用は期間限定の「年季奉公」だったのではなかろうか?

現代にも本当に「終身雇用制度」はあるのだろうか?
少なくとも私が就職した折に、会社から雇用契約書を提示された記憶はない。ただ、「違法行為、または会社に著しい損失を与えた場合は解雇要件になる」という誓約書にはサインした。逆に考えれば、会社に迷惑をかけなければ定年まで働かせてもらえる、というお墨付きとも考えることは可能だ。しかし、終身雇用というのは「制度」ではなく「慣行」と言った方がよかろう。

もともと日本では「人は育てて使う」という考えの経営者が多かったと思う。
それが、バブル崩壊以降人材をリソース(資源)と考え、材料費と同じ変動費として考える経営が急増した。

本来の日本的経営は人財をキャピタル(資産)として扱ってきたはすだ。設備などの資産は減価償却によって価値はどんどん下がる。一方人財という資産は仕事の経験を通して価値はどんどん上がる。

このように発想すると、長期間雇用(終身雇用)が有利に働く。

しかしバブル崩壊後に企業の考え方が変わっただけでなく、労働者の考えも変わってしまった。就職氷河期と卒業年次が重なった若者は、非正規雇用に甘んじるしかなく、自らの資産価値は自ら磨かなければならなくなった。優秀な人財は1社でじっくり成長するより、手っ取り早く企業を渡り歩きキャリアを身につけようとするだろう。

このような労使両面の経緯で終身雇用慣行が少なくなっているように思う。

しかし中国の労働市場は、終身雇用とは無縁と考えた方が良い。優秀な人ほど自らの資産価値を上げるために転職していく。優秀な人財が流出し、そこそこの人材ばかりが滞留するようでは困るが、ある程度の流動性があった方が組織は活性化すると思うがいかがだろう?

豊田社長の発言は「トヨタはもう終身雇用慣行をやめる」と言っているのではなく「労働市場の変化により終身雇用慣行を維持できなくなっている」と言いたいのではないだろうか?
いずれにせよ、優秀な「トヨタマン」が日本の産業界に転職すれば、国益に資するはずだ。


このコラムは、2019年5月20日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第825号に掲載した記事に加筆修正しました。

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