孔子

君子求諸己


yuē:“jūnqiúzhūxiǎorénqiúzhūrén。”

《论语》卫灵公第十五-21

素読文にすると、
わく:“くんこれおのれもとめ、しょうじんこれひともとむ。”
となる。

普通に解釈するとこうなるだろう。
君子は自分の身に起きた全ての出来事に対して謙虚に受け止め自分自身に責任を求め反省をする。しかし、小人は他人の命によって行動し、失敗すれば他人のせいにして反省をしない。

人が人として生きていく人生哲学だと思う。高邁な孔子の教えを「問題解決」の場面で考えてみたい。卑近なアプローチだが、論語研究者の方々には暴挙をお許し願いたい(笑)

発生した問題を「他責」で考えない。問題を全て「自責」で考えるのが、問題解決の第一歩だ。

例を挙げよう。
「注文が多くて、納期が間に合わない」
この問題は「他責」になっている。注文が多いのは、お客様の都合であり、解決不可能だ。

問題を正しく定義すれば、
「生産能力が不足しており、納期が間に合わない」
となるはずだ。問題をこのように定義すれば、解決課題はいくつも見つかる。

もう一つ例を挙げてみよう。
「作業員の品質意識が低くて、人為ミスが多発する」
「作業員の品質意識が低い」は作業員の問題であり「他責」だ。この問題を解決するため、品質意識向上の活動をすれば、人為ミスは減るだろうか?たぶん余り効果はないだろう。まず品質意識はどうやったら高まるか?と言う難題と直面する事になる。教育(お仕置き)をすれば、品質意識が高まるのであれば簡単だが。そんな魔法はない。

「自責」で問題を定義すれば、作業方法,環境、設備等が人為ミスを誘発している、となるだろう。この様に問題定義をすれば、作業手順、作業環境、設備などの改善を思いつくはずだ。


このコラムは、2017年6月5日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第531号に掲載した記事に加筆しました。

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