二度考えれば十分


wén(1)sānérhòuxíngwénzhīyuē:“zài。”

《论语》公冶长篇第五-20

(1)季文子:魯の国の家老。姓は季孫、名はこう、文子はそのおくりな。宣公・成公・襄公の三君のときの宰相

素読文:
ぶんたびおもいてしかのちおこなう。これきていわく、“ふたたびせばなり。”

解釈:
季文子は何事も三たび考えてから行なった。孔子はそれを聞いていわれた。“二度考えたら十分だ”

何事も熟考の上、行動することが必要ですが、孔子は考えるのは二度までにしておけ、と言っています。三度考えている間に、状況が変わってしまうこともあるでしょう。
二度考えて答えが違っていれば、三度目を考える必要がありそうですが。