改善の楽しさ


 以前「QCC道場」に参加いただいた経営者様はメンバーに「改善の楽しさ」を体験して欲しいとおっしゃっていた。

西洋哲学では、「我思う、故に我あり」とデカルトが言うように、まずは知識とか理論を重要視する。一方東洋の禅は「只管打坐」と言いまず坐禅の体験を重視する。体験から得られたものが真の教義であり、経典だけでは真の奥義は伝えられない(不立文字)という考え方をする。

先の経営者様と同様に私も東洋哲学派に属する(笑)

頭で理解しても何となく腑に落ちない。体験してみて初めて腑に落ちる。
頭で理解したことは知識として残っても能力にはならないだろう。体験を通して知識が能力に変換されるように思う。

体験の「楽しさ」はどこから生まれるのだろうか。
ずばり「自発性」だと思うがいかがだろう。子供が遊びやゲームに熱中するのは「自発性」があるからだ。教師や親に指示された遊びやゲームにそれ程は熱中しないだろう。そして「達成感」があれば更に熱中度は上がるはずだ。

自発的に取り組む改善は楽しさがあり、その成果が達成感をもたらし更に熱中するはずだ。「楽しさ」を燃料とした止まることがない永久機関となる。


このコラムは、2019年1月28日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第777号に掲載した記事です。

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