元インテル日本支社長の傳田信行氏の話を聞く機会があった。
インテルと言えば,今では一流企業だが,傳田氏がインテルに入社した当時は従業員100名ほどのベンチャー企業だった。
絶妙なコピー「インテル入ってる」を,日本発で世界中に「Intel in it」として広めたのも傳田氏だ。
世界中のPCメーカがこぞってインテルの宣伝をしてくれた。
B to Bビジネスのインテルの宣伝をTVに流しても意味がない,とお考えの方はまだ思慮が浅い(笑)このTVコマーシャルで,学生の採用が格段にやり易くなったはずだ。
その傳田氏の話で,一番興味を持ったのがインテルの技術開発戦略の話だ。
インテルほどの大企業が,実は中央研究所を持っていないそうだ。しかし,まだインテルが小さかった頃から,新規技術の探求は怠らなかった。
インテルはCPUメーカとして成功を納めたと言っても良かろう。
1970年代に開発した4004という4ビットのCPUチップが、現在のCPUの原型だ。このICは,論理演算をするALUしか持っていない。コンピュータとして,プログラムの実行順序を制御するプログラムカウンタは、別のチップで実装せねばならなかった。
今でも鮮明に覚えているが、実験のデータをリアルタイムに処理するためにインテルの4040を使用してコンピュータを作ったと言う学会発表を聞いた。1970年代中頃、私はまだ学生だった。
当時の最新CPU4040は、ALUとプログラムカウンターが一体になった。
発表者は4040の採用により画期的に小型化することができたと説明していた。
しかし発表スライドにあった,その計算機の姿は小さめのミニコンと表現した方がよく,お世辞にも小さいとは言えなかった。
話が脱線してしまった。
当初インテルのCPU開発は,お客様から開発費をいただいてやる、下請け仕事だったのだ。
彼らのCPU開発を助けたのは,ビジコン、東芝テックなど日本のメーカだ。
ビジコンに勤務しておられた嶋正利氏が,インテル本社とともにCPUの開発をされ、その後の汎用CPU開発の基礎を作られたのだ。
その後も,日本人研究者のクリーンルームに関する論文に目を付け,彼と一緒に実験プラントを作り理論実証を一緒にやった。
こういう技術開発を,中堅中小企業も取り入れたらよいと思う。
中堅中小企業は,潤沢な資金も人材リソースもない。自前で研究開発をする事は難しい。しかし今のまま、モノ造りをしていたら早晩行き詰まる。新興の中国企業との価格競争に巻き込まれ,利益確保が難しくなるのは,目に見えている。常に新しい技術を模索していなければ,ならない。
中長期の事業計画の中に,3年,5年ごとの技術革新マイルストーンを置き,そのマイルストーンに適合する大学の研究や,異業種の交流会などに参加する。人材や資金がなくても,理論の実証実験の場を提供する,設備を作るなどの協力をする事は可能だろう。
まずは,自分たちの進む方向,マーケットの進む方向を考え,中長期に必要となる技術をピックアップしロードマップを作る。闇雲に手を出しても駄目だ。行きたい方向をまず定める。
来年度からの中長期ビジョンを,正月休みにでも考えてみられてはいかがだろうか。
参考文献「傳田信行 インテルがまだ小さかった頃」
(既に絶版となっている様だ。私は古書を確保できた)
このコラムは、2013年12月30日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第342号に掲載した記事に加筆修正しました。
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