武井壮の大人の学校という講義をたまたまyoutubeで見た。
ほとんどTVを見ないので、恥ずかしながら武井壮という方を知らなかった。半ズボンで登壇した姿を見て、見るのをやめようかと逡巡しているすきに、「水は飲みたいと思えば飲める。しかしホームランは打ちたいと思っても打てない」という言葉にヤラレ、最後まで見た(笑)
打ちたい時にホームランが打てない理由は「見えていないからだ」という。
しかし一流の打者は、ボールをしっかり見ているはずだ。あの川上哲治などは、ボールが止まって見えると言っていた。
武井氏が言っているのは、ボールは見えていても、自分の体がどのように動き、バットのヘッドがどのような軌跡をたどっているか見ていないという。
確かに、見えていない体を使い、見えていないバットヘッドの軌跡を制御して時速100km以上で飛んでくるボールにジャストミートすることは困難だろう。
打ちたい時にホームランを打つためには、体を見ていなくてもイメージ通りに動かせるように、バットの先端を見ていなくても思い通りの軌跡を描くように鍛錬する必要がある。
我々も不良が発生する瞬間を見ることができれば、不良発生の原因は簡単にわかるだろう。不良発生の瞬間が見えないので、仮説を立て検証し原因を推定する事になる。仮説検証の能力を鍛錬しなければならない。
さてここからが本日の主題だ。
武井氏は、社会的価値は質(クオリティ)ではなく量(クォンティティ)だと言っている。彼はアスリートの立場として、社会的価値は質より量だという。選手がいくら高いクオリティ(運動能力、瞬時の判断力など)を持っていても、社会的価値は上がらない。そのスポーツを見る観客のクォンティティ(人数)が社会的価値を決定する。
観客動員数が多ければ興行収入が大きくなり、また広告効果などの付帯価値も上がるという事だ。
ここで比較している質と量は、供給者側の質と消費者側の量である。こう理解すれば「質より量」という現代社会にマッチしないキャッチコピーはいきなり当たり前になる(笑)
我々製造業も同じだ。供給と消費のバランスが変わり、同一規格大量生産品の社会的価値が下がった。そして消費者の欲求に応える多品種少量生産品しか売れなくなっている。
一見すると「量より質」、つまりたくさん粗悪品を作るより質の良いものを少量作った方が価値が高い、と解釈できる。
製造業にとって「質」が良いのは当たり前の前提、その上で顧客の需要という「量」が重要となる。
スポーツと同じく製造業も、生産者の質よりも消費者の量が社会的価値を決定する、という事だ。
当然製品の質と量(顧客需要)には相関関係がある。質が悪ければ量は減る。しかし質が良くても量が上がるとは言えない。という片側相関関係だ。
簡単に言ってしまえば、製造業が作っている製品の社会的価値は生産者ではなく、顧客である消費者が決定しているという事だ。製造業以外でも同様だ。
「質より量」心に留め置きたい。
このコラムは、2018年6月1日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第674号に掲載した記事に加筆しました。
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