答えのない質問


 質問にはいくつか種類が有る。

通常「質問」は、知識の収得を目的とし、知識がない者から知識のある者に発せられる。

質問とは逆に知識がある者から知識がない者に発せられる質問がある。
これを「発問」と言う。例えば、私がQC七つ道具の学習者に「パレート図とはどんなモノですか?」と言う質問をする事が「発問」だ。
当然私はパレート図が何かを知っている。従って、相手にパレート図がどんなモノか教えを乞うている訳ではない。発問には相手が知っているかどうか確認すると言う機能がある。または発問によって、相手に問題意識を喚起する、ヒントを与える事も出来る。

この二種類の質問には答えがある。

しかし答えがない質問、正解がない質問もあり得る。
例えば「明日発生する交通事故の件数は何件ですか?」と言う質問には答えはない。この質問に何らかの方法で答えを見つけたとしても、それが正解とは限らない。
このような問題には、いわゆる「フェルミ推定」と言う思考法が使われる。この質問に求められるのは、答えではなく、論理的な思考が出来るかどうかと言う事になる。

フェルミ推定の古典:
「広い宇宙に地球人しか見当たらない50の理由─フェルミのパラドックス」

または「両親が生まれる前の自分は何者だったか?」と言う禅問答にも正解はないだろう。

「発問」も「答えのない質問」も相手の意欲を高める、相手にヒントを与える、相手の論理的思考を鍛える、と言う効果がある。

一方「答えがある質問」は自分の知識欲を満足させる効果がある。
相手の事を質問すると、相手は質問者が自分に関心があると感じ、心を開く。これも質問の効果だ。

子供が親に対して質問する、学生が先生に対して質問する、部下が上司に対して質問する、そんなステロタイプな質問のイメージを捨てて、どんどん質問をしてみよう。


このコラムは、2016年5月16日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第476号に掲載した記事に加筆修正したものです。

【中国生産現場から品質改善・経営革新】は毎週月曜日に配信している無料メールマガジンです。ご興味がおありの方はこちら↓から配信登録出来ます。
【中国生産現場から品質改善・経営革新】