先週の「女工さん不足」の記事に読者様からメッセージをいただいた.
K様のメッセージ
今回の記事の女工さん不足の件ですが、湖北省・武漢の近くの出身者が言っていましたが、最近、武漢に多くの企業が進出したそうです。
華南のそれに比べて若干の給料差はあるようですが、ほぼ地元で収入を得られるためにわざわざ華南地区まで出稼ぎに来なくても良いという子が増えているとのこと。
当然親もバスに乗ればすぐに帰ってこられる地元が安心できるでしょう。
今までは内陸部に工場が少なく、沿岸部まで出稼ぎというパターンでしたがアパレルやおもちゃでしょうか、人件費の高騰に音を上げ内陸部に移設しているという話を聞きましたが、この関係も大きいと思います。
華南の人手不足は続くと思います。
K様メッセージありがとうございます.
ご指摘のとおり,内陸部に農村の余剰労働力を受け入れる受け皿が増えている.
90年代末ころ東莞の新聞に重慶(だったと思う)の工場の人材募集広告が出ていた.東莞と同じ条件で採用する,という広告だった.当時はまだ工場の前に人材募集の赤紙を貼ればいくらでも応募者が並んだのでそれほど脅威には思わなかった.
それがあっという間に女工さんが雇えなくなり,工場の中に男子工員が増え始めた.業種によっては男子工員のほうが良いのだが,電子部品の組立てのように細かい作業はやはり女子工員のほうが忍耐強く作業をしてくれる.
当時女工さんがずらりと並んだ工場を見てオートメーションをもじって「乙女ーション」といっていたのが懐かしい.今では男子工員の数が目立つ.
従業員の数だけではなく,質も変わってきた.
中国では若い人たちの気質の変化を「80后」(’80年以降生まれ)「90后」と表現する.
親の生活を支えるため,弟,妹の学費を稼ぐために農村から出てきた女工さんたちは「苦役」に耐え,田舎に帰ることを夢に見て働いた.
しかし最近では,都会の生活にあこがれて出てくる若者が増えているように見える.
工場を見ていても作業員が携帯電話を持っている.太った若者が増えてきた.
残業を喜ばない者が増えてきた.工場が街から離れているという不満が出る.
90年代後半にはなかった現象だ.
この流れは国の発展に伴う必然の変化だろう.日本の歴史を見れば明白だ.
ではもう華南地区で工場経営を維持するのは不可能なのだろうか.今までどおり多くの女工さんを集め苦役に耐えながら作業をさせるという考え方を変えなければ,工場経営の未来はないだろう.
若者の気質の変化は考えようによっては,都合の良い変化だ.
「苦役に耐える覚悟」を持って出てきた若者はやがて疲れて故郷に帰ってゆく.しかし「都会に対する憧れ」をもって出てきた若者は指導の仕方で,憧れを夢に,夢を現実に変えるため仕事を通して自己成長を遂げるだろう.
こういうモチベーションの高い若者を正しく導き,少数精鋭で高品質・高付加価値・高フレキシビリティなモノ造りに転換してゆけば,激しいコスト競争の外側で経営ができるはずだ.
時代の流れは変えられない.
変えられないことを嘆くよりは,自ら変えられるところに注力すべきだ.
このコラムは、2009年10月26日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第122号に掲載した記事に加筆したものです。
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