グローバリズムの功罪


 私が子供の頃は、日本は資源のない国なので資源を輸入して加工した製品を輸出することにより国を豊かにする、と習った。勤勉な日本国民はその教えにしたがって懸命に働き、世界の工場といわれる国になった。一方農業は食料安全保障の名の下に、農家が過剰に保護され産業化が進まなかった。

そして世界がグローバリズムに走り出した。製造業は一斉にローコスト労務費を目指して海外に工場を移設。国内の空洞化が始まる。ローコスト生産国だった中国の生活水準が上がり、高消費国になる。力を付けた中国の製造業が開発途上国市場のシェアを伸ばし始める。

そして今回の新型コロナウィルス禍によって日本の国力の脆弱化が露呈した。国内ではマスク一つ作れない状態になっているのに気付かされた。
最近のニュースではアイリスオーヤマがマスク生産に乗り出し、中国から生産設備を導入した。激しく落胆した。生産設備まで中国に頼るようではモノ造り日本の誇りはどこに行ったのだと言いたい。

マスクが作れないのは大きな問題ではないかもしれない。しかし生産設備まで中国に依存するようでは、モノ造り日本の威信は失われたといわざるを得ない。

グローバリズムといっても市場が一つになったわけではない。ボールペン1本100円では売れない国はまだまだある。10円のボールペン市場は中国にくれてやれば良い。我々が守らねばならない市場は別にある。

新型コロナ禍によって世界は自国優先主義に傾いた。本来のグローバリズムは世界の協調主義に依存しているのではないだろうか。


このコラムは、2020年5月27日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第985号に掲載した記事です。

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