一粒の麦


 「まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。」

(ヨハネの福音書 第12章24節)

青山繁晴氏の「僕らの哲学」に出ていた一節だ。青山氏はこう書いている。
人間は誰しも一粒の麦に過ぎない。自分だけは死にたくないと生きていれば、ただ一粒の孤独が永遠に続くだけだ。むしろ死ぬことによってこそ、次の命に繫がり、空しさから救われるのだということです。

私はまだその境地には至っていない。
友人がコロナに罹患したと聞けば、近所の寺に恢復の祈願に通う。
かのオールドパーのように168歳まで生きられるとは思わないが、まだ覚悟はできていない。友人も自分もこの世から消えてしまうのに耐えられない。

せめて何をかこの世に残し、人々の記憶に生きたいと願う。
オールドパーのように自由奔放な人生で毎夜人々の記憶に蘇るもの良いが私にはその「素質」はなさそうだ(笑)

できることなら、生きている間に関わる人の中に麦を撒きたいものだ。


このコラムは、2022年1月14日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第1241号に掲載した記事に加筆したものです。

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