子夏と詩を語る


xiàwènyuē:“qiǎoxiào(1)qiàn(2)měi(3)pàn(4)(5)wéixuàn(6)wèi(7)?”
yuē:“huìshìhòu(8)。”
yuē:“hòu(9)
yuē:“zhěshāng(10)shǐyánshī(11)。”

《论语》八佾第三-8

(1)巧笑:愛らしく笑う
(2)倩兮:口もとが可愛い
(3)美目:美しい目元
(4)盼:黒目と白目がくっきりしている
(5)素:胡粉(白色顔料)で下地を塗る
(6)绚:綾模様をつける
(7)何谓也:どういう意味でしょう
(8)绘事后素:絵を描くときは白を後にする
(9)礼后乎?:礼は最後の仕上げなりや
(10)起予者商也:私の言わんとするところをいうのは商(子夏なり)
(11)始可与言诗已矣:君となら詩を語り合える

素読文:

子夏しかいていわく、こうしょうせんたり、もくはんたり、もっあやすとは、なんいいぞや。いわく、ことのちにす。いわく、れいのちなるか。いわく、われおこものしょうなり。はじめてともうべきのみ。

解釈:

子夏が孔子に問う“愛らしく笑い、口元が可愛い、目元が美しく、瞳がぱっちり、化粧をすれば愛らしいとはどんな意味でしょう。”
孔子曰く“絵を描くときは、最後の仕上げに胡粉をかける、というようなことだ”
子夏曰く“礼は人生最後の仕上げという意味でしょうか?”
孔子曰く“商(子夏)よ、君には私も教えられる。それでこそ共に詩を語り合えるというものだ”

流行歌のような詩を子夏はうわべだけでなく、人生教訓と解釈。孔子が感心して、共に詩を語り合える、と褒めた。褒められて子夏はどう答えたかはは書かれていませんが、師匠から褒められて嬉しかったでしょうね。