哀公問う


āigōng(1)wènshèzǎi(2)zǎiduìyuēxiàhòushì(3)sōngyīnrén(4)bǎizhōurén(5)yuē使shǐmínzhànwénzhīyuēchéngshì(6)shuōsuìshì(7)jiànwǎng(8)jiù

《论语》八佾第三-21

(1)哀公:魯の国の君主
(2)宰我:姓は宰、名は予、あざなは子我
(3)夏后氏:夏王朝
(4)殷人:殷王朝
(5)周人:周王朝
(6)成事:出来てしまったこと
(7)遂事:済んでしまったこと
(8)既往:過ぎ去ったこと

素読文:

哀公あいこうしゃさいう。さいこたえていわく、こうまつもってし、殷人いんひとはくもってし、しゅうひとくりもってす。いわく、たみをして戦栗せんりつせしむ。これきていわく、せいかず、すいいさめず、おうとがめず。

解釈:

哀公あいこうさいに社の神木についてたずねた。
宰我答えて曰く「夏の時代には松を植えた。殷の時代には柏を植えた。周の時代からは、栗を植えることになったが、それは人民を戦慄せんりつさせるという意味です」
孔子はこれを聞いて曰く「できてしまったことは、いっても仕方がない。やってしまったことは、いさめても仕方がない。過ぎてしまったことは、とがめても仕方がない」

あれこれと、罰を与えることで人々を治めることはできないと孔子は言いたかったのでしょうか。