日陰の日時計


 “日陰の日時計が何の役に立つか”ベンジャミン・フランクリンの言葉だ。
今時日時計で時間を知ろうと考える者はないだろう。従って日時計は日陰にあろうが日向にあろうが問題はない。

この言葉の本来の趣旨は、知識や能力は活用して初めて意味がある、という事だろう。
もう一歩踏み込んで考えれば、日時計は日向に起きさえすれば時刻を表示する。
知識や能力は、ただ日向に置いても役には立たない。知識や能力を活用し行動して初めて役に立つ。

この違いは、日時計の機能が「受動的」なモノであり、知識や能力は「能動的」なモノだと言う事だろう。日時計は太陽の光によって機能する。しかし知識や能力は本人が行動しなければ機能しない。

共通点は、どちらも正しい方向に向けなければならないと言う事だ。
日時計は正しい方向に向けなければ正確な時刻を示さない。
知識・能力は正しい方向に向けて活用しなければ思い通りの成果は得られない。

日時計の方は時計としての機能の他に骨董品、美術品として鑑賞価値がある。
しかし知識・能力はそれだけでは、何の価値もない。


このコラムは、2019年6月10日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第834号に掲載した記事に加筆修正しました。

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