工場再生指導バイブル
本コラム最終回は,原田氏の工場再生指導の真髄をお話したい.瀕死の工場を再生する.そしてそれを維持・改善する.それは従業員の働きにより初めて可能となる.彼らの心を理解し活用する.これが原田式経営哲学の根底にある原理・原則だ.
明治大学・経営学部の郝燕書教授は,長年原田氏の経営手法を研究して来られた.彼女は原田氏の経営手法を「人心管理」と表現しておられる.原田氏もしばしば人心管理という言葉を使っていた.
しかし,私は人心管理という言葉に違和感を持っている.管理(コントロール)とは,モノのばらつきを一定の範囲に押さえ込むことだ.
多様な人の心を一定の範囲に押さえ込むことは,不可能だ.もし可能だとすれば,それは特殊な宗教集団だろう.そのような組織では,人々は「神」に頼って生き,一人ひとりが能力を発揮することはないだろう.
一人ひとりの個性を活かし(ばらつきを認め)成果を一定の範囲に入れる.こういう考え方は「人心マネジメント」という言葉を使ったほうが適切だろう.すなわち人心を理解し,活用することだ.管理(コントロール)するのは人心ではなく,成果の方だ.
SOLID社の新人教育は,二年目の従業員が講師をすることになっている.自分と学歴も年齢もほとんど同じ先輩から,会社のルール,仕事に対する心構えを教えてもらう.つまり去年新人研修を受けたばかりの従業員が,今年の新人教育をする.教える方も教えられる方も,お互いの立場が理解できているので,教育効果は高い.
もし年齢が離れた人事部長が新人教育をしたらどうだろう.同じ話をしても,新人の腑に落ちる度合いが違うだろう.
若い作業員の中に,長髪の男子がいた.服務規程に違反しているので,強制的に散髪させればよいが,原田氏は別の方法を取った.
女子数人で評価チームを作り,男朋友にしたい・したくない,を投票させた.男朋友にしたくないという評価を受けた長髪男子は自ら理髪店に行き散髪をした.会社・上司に指示命令されて,髪を切ったわけではない.自ら納得して髪を切ったのだ.不満,不服は発生しない.
長髪,茶髪は,若者にとって一種の自己表現だ.しかしそれは,仕事を通して得られる自己実現に比べれば,遥かに水準が低い自己表現だ.彼らに,音楽や,絵画などの別の自己表現機会を与える.従業員誕生会でのバンド演奏.楽しい壁画を描いて,職場環境を明るく楽しくする.その結果,周りの仲間から賞賛されたり,感謝されたりする.その経験が若者を成長させ,組織の力を向上させる.
二十世紀の企業は,顧客に製品やサービスを提供することにより利益を追求する組織と定義されていた.しかし二十世紀型企業が,今後も存続してゆくには限界があるだろう.
二十一世紀に期待される企業は,従業員の幸福を追求する組織だ.従業員を育て,仕事を通して従業員を幸せにする.そのような企業は,顧客から愛され,社会からも尊敬される.その結果として利益を得ることが出来るはずだ.利益は結果であり,目的ではない.
原田氏には,二十一世紀型企業の青写真がはっきりと見えていたのだ,と私には思える.原田氏が企業理念に掲げた「感謝と夢と自主性にあふれた理想工場」が二十一世紀型企業そのものだ.
従業員が幸せになれば,企業が発展する.多くの企業が発展すれば,社会が幸せになる.そんな二十一世紀型の企業を増やすことが,原田氏の遺志を継ぐことになると考えている.
本コラムは香港,中国華南地区で発行されている月刊ビジネス雑誌「華南マンスリー」2011年6月号に寄稿したコラムです.