少くして賎し、故に鄙事に多能なり


tàizǎi(1)wèngòngyuē:“shèngzhěduōnéng。”

gòngyuē:“(2)tiānzòng(3)zhījiāngshèngyòuduōnéng。 ”

wénzhīyuē:“tàizǎizhīshàojiànduōnéngshì(4)jūnduōzāiduō。”

láo(5)yuē:“yúnshì。”

《论语》子罕第九-6

(1)太宰:官吏の名称
(2)固:まことに
(3)纵:ほしいままに許す
(4)鄙事:卑賤な事柄
(5)牢:孔子の弟子。司馬遷・史記の「仲尼弟子列伝」には見当たらない

素読文:
太宰たいさいこういていわく:“ふう聖者せいじゃか。なんのうなるや。”
こういわく、“もとよりてんこれゆるしてまさせいならんとす。またのうなり。”
これきていわく、太宰たいさいわれるか。われわかくしていやし。ゆえ鄙事ひじのうなり。くんならんや、ならざるなり。”
ろういわく、“う、われもちいられず。ゆえげいあり。”

解釈:
太宰が子貢に問うて言う「孔子こそ聖者と呼ぶべきでしょう。実に多能だ」
子貢が答えて言う「まさに天より許された方であり聖者と呼ぶべき方でしょう。その上多能です」
孔子はそれを聞き言う「太宰は私のことをよく理解されている。幼い頃から貧しかったので、つまらぬことに多能である。しかし君子たる者、多能であれば良いのだろうか。多能であれば君子である、とは言えないだろう」
孔子の弟子・牢はこう言っている。「孔子は世に用いられなかったので、多芸になったとおっしゃっていた。」

最後の一節は中国では《論語》子罕第九-7としています。

孔子は魯国の下級官吏に任官しますが、その後弟子とともに諸国を遊説するも、どこからも任官の要請はありませんでした。そのため一国の雑事にとらわれることなく、儒教の昇華と弟子の育成に専念できたのでしょう。