不立文字(ふりゅうもんじ)とは禅宗の教義を表す言葉で、文字や言葉による教義の伝達のほかに、体験によって伝えるものこそ真髄であるという意味。
通常私たちは,文字や言葉を使って他人とコミュニケーションをしている。
しかし相手に伝わる情報は言葉よりも、表情、仕草などの言葉以外の要素によるところが多いと言われている。口角を上げる、ウィンクをする、親指を立てる。こういった仕草が言葉以上の情報を相手に伝えることもある。
しかし不立文字で得る情報は,相手の感情ではなく禅宗の教義だ。単純な事柄ではない。言葉を使わずに禅宗の教義を理解することができるのだろうか?
禅宗には「只管打坐」という言葉がある。真理を会得するためには教えを請うのではなくひたすら坐禅をせよ、という意味だ。
真理とは何かを百言を費やしても理解できないであろう。だからこそ不立文字であり只管打坐なのではなかろうか?
百言を費やして説き教えるよりは、自ら体験することで理解させる。
このように簡単に言葉にしてしまうと、ありがたみがなくなるが(笑)「教える」とは、体験を通して自ら理解させることではないだろうか。
このコラムは、2019年9月2日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第870号に掲載した記事です。
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