最近「働き改革」と言う名の下に、残業を減らす、余暇を増やすと言う方向に社会が向いているような気がする。昭和世代の我々は「24時間戦えますか?」「企業戦士」と言う言葉が社会の風潮であった。今はそう言う働き方を「社畜」と言うらしい。高度成長期であり、社会がどんどん豊かになる。それに合わせ個人の収入が増える。しかし私たちの欲望は金銭にあったわけではない。仕事の範囲が広がることに生きがいを感じていた。
バブル崩壊後「ゆとり」「自由」と言う口当たりのいい言葉に騙されているように感じる。成長が感じられない閉塞感が人の心を変えた。
成長企業で働く人は、今でも生き生きと働いていると言う印象を持っている。グーグルで働いている人は、グーグルには残業しない人はいません、と言っている。過労死や鬱に追い込まれてしまう人々は、意味のない仕事をやらされ、仕事の意義を感じられず、希望を失い心が疲れ果ててしまうのだろう。
個人的なことを言えば、150時間残業をしていた頃も、毎朝出社するのが楽しみだった。
「働き改革」は残業を減らすことが目的ではなく、より付加価値の高い働き方を模索し、より高い付加価値を創造することだと考えている。そのような働き方をするためには、仕事の目的、ビジョン、価値観を共有しなければならない。これが理解できない経営者はどんどん淘汰されるだろう。そして働く者自身もAIやロボットに仕事を奪われていくことになる。
このコラムは、2017年3月27日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第521号に掲載した記事です。
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