カイゼンのゼンは禅


 私は仏事の時だけ仏教徒となるいい加減な信者ではあるが、一応曹洞宗・禅宗の仏教徒である。
曹洞宗では「只管打坐(しかんたざ)」という。ただ座る、目的を持って座禅をするのではなく、ただ座禅をする、と言う意味だ。

改善は目的も目標もある。現場を観察、作業を観察することで、不良を撲滅、生産性を向上させる。禅の教えとは異なる様に思える。

しかし目的を持って観察を続けてもなかなか改善方法は見つからない。
トヨタでは「現場百遍」と言うらしい。ひたすら観察をすることで、只管打坐の境地に入れるのではなかろうか?虚心坦懐になるまで観察すると初めて見えて来るものがある様な気がする。
当然改善には目的・目標がある。それを忘れるまで現場・現物・現実を観察することで、答えが見えて来るのではなかろうか?

以前指導していた工場で、ある工程だけが作業がうまくゆかずボトルネックとなっていた。一眼見て原因は分かった。しかしどう対策したら良いか分からない。同じ作業をしている作業員を何人も見続けた。その何たった一人、うまく作業できている作業員がいた。多分彼女は理屈が分かって、その様な作業方法を考えたのではなかろう。ただ作業をやり続ける中で体得した作業方法だったのだろう。これもまた只管打坐の境地と言える。

改善に目的・目標は必要であるが、その目的・目標を忘れるまで観察する。
それで解決の糸口が見えてくることがある。改善は禅に通じる。


このコラムは、2021年8月20日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第1178号に掲載した記事です。

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