楽観主義と悲観主義


 若い頃は楽観主義は軽薄な印象でカッコ悪いと思っていた。こう言う考えそのものが軽薄短小であるとは思いもよらず、深刻ぶってものを言ったりする。学生運動の最後の尻尾あたりにいた我々世代には、同類が多いような気がする。

全共闘の東大安田講堂占拠は高校1年。
三島由紀夫が市ヶ谷の陸上自衛隊東部方面総監部で割腹自殺したのは高校2年だった。

多分最後の学生運動世代と言えるだろう。
大学生の頃、周囲には学生運動の残党がまだ大勢いた。国や政治と戦うのではなく、セクト間の闘争に変容していったように思う。

そんな時代に青春時代を過ごすと悲観主義的傾向が強くなるのかも知れない。

悪い出来事に対して
悲観的な人は普遍的な原因があると考える。
楽観的な人は悪い出来事には特定の原因があると考える。

良い出来事にたいして
悲観的な人はよい出来事は特定の原因があると考える。
楽観的な人はよい出来事には普遍的原因があると考える。

つまり悲観的な人は、
悪い出来事は普遍的理由があり、避けることはできない。
良い出来事は特定の原因があり、自分がその恩恵を得ることはない。

楽観的な人は、
悪い出来事は特定の原因があり、避けることができる。
良い出来事は普遍的理由があり、自分もその恩恵を受けることができる。

つまりネガティブシンキングでは、悪いことは皆に起きるのだから避けることはできず、良いことは自分には起きない。
ポジティブシンキングでは、良いことは皆に起きるのだから自分もその恩恵を受けられ、悪いことは避けられる。

これはもう「ニヒル」を気取っている場合ではない。
即座に楽観主義に切り替えようと決意した(笑)


このコラムは、2022年1月28日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第1247号に掲載した記事です。

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