従業員の確保


 従業員がすぐに辞めてしまう。従業員の採用・教育訓練にかかるコストが馬鹿にならない。だから自動化をもっと進めて少ない人数で生産できるようにしたい。
自動化導入の動機をそう語る経営者は少なくない。

しかし若者の労働に対する考え方の変化を理解しなければ、自動化をしても結果は同じだろう。

2000年以前は、工場の入り口に求人の赤紙を掲示すれば、すぐに人は集まった。生産が落ち、過剰人員となっても作業員はより残業のある工場に流出する。
作業員確保に関しては、何も考えなくても良い時代だった。
ただ作業員が変わっても、同じように生産が継続できるように、作業を単純化し、熟練を必要としない工夫さえしておけば良かった。

当時の出稼ぎ労働者は、弟や妹の学費を稼ぐため、両親の生活を支えるため、という使命を持っていた。その使命感によって2、3年の苦役に堪えていた。

しかし今の若者にその使命感はない。沿岸部との格差はあるにせよ、農村部も以前に比べれば豊かになっている。仕送りをしていない出稼ぎ労働者が増えている。では彼らは、何のために働いているのだろうか?

ところで我々日本人は何のために働いているのか?
私の年代(1950年代生まれ)の人間は、子供の頃から「日本は資源のない国だから、原材料を輸入し加工して輸出をしなければ、生活が出来ない」と習ってきた。個よりは全体を優先する道徳観を刷り込まれてきた。
そのような職業観や道徳観により、戦争により焦土と化した日本が経済発展したのは確かだろう。
しかし本当に「国のため」「会社のため」に働いてきたのだろうか?
少なくとも私自身はそうではなかった。仕事が楽しかったから一生懸命働いた。

新卒で地方都市の零細企業に飛び込んだ私は、すごい発明をしてこの会社を一流にしようという、無謀な野望に燃えていた(笑)しかしくる日もくる日も「今日の飯の種」のために働く現実が待っていた。
たまたま東京の一部上場企業に転職し、1年後2年後のために、製品開発をすることになり、すごくうれしかった。

その後社内で異動を繰り返したが、そのたびに新たに「仕事の楽しみ」を見つけ、それが自己成長につながっていることを実感することが出来た。
回路設計者としては二流だった自分が、今仕事ができているのは品質保証部への異動があったからだ。前職でのキャリアが今の自分を作ったと感謝している。それが出来たのは、尊敬できる先輩がいて、会社や上司に対して信頼感を持つことが出来たからだと思う。

90后と呼ばれる中国の若者たちは、家族の生活を支えるという使命感を失っている。彼らに仕事に対する楽しさと、仕事の目的(使命)を持たせることが必要だと考えている。

すでに中国のモノ造りは、機械化による効率向上が必要になっている。必要な人財は、単機能の作業者ではなくなった。単機能作業者をつなぎ止める為に、給与や福利を上げたのでは経営は成り立たない。
素質(向上心)のある若者を育てて使うことが必要だ。


このコラムは、2012年5月14日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第257号に掲載した記事です。

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