疑似経験


 人に与えられた時間は有限だ。一生で経験する事柄も有限となる。私は60年あまり生きている。30歳の若者と比較すれば、倍の時間を生きて来た。
しかし経験の量と生きて来た時間は比例する訳ではない。

逆説的に言うと、真面目な人ほど経験量は少なくなる。
目の前の仕事に真面目に取り組んでいると、経験のチャンスが減る。
不真面目(?)な人間は、あちこちと興味が移り、経験のチャンスが増える。

私は「犬の様に仕事をしたい」と思っている。
「犬の様に働く」というと、人に与えられた仕事を盲目的にこなす、というネガディブなイメージがある。中国語には「狗命」「狗賊」「狗屁」など、犬には不当な評価が多いが、その様なネガティブな意味ではない。

犬を散歩に連れて行くと、あちこちに興味を持ち、鼻を近づける。真っすぐには歩かない。「犬の様に働く」とは何事にも興味を持って仕事をするという意味だ。

ただ興味を持つだけでは、経験とはならない。
興味を持ったことを、調べる、深く考えることで、疑似経験となる。

当然自分で体験した本物の経験と比較をすれば、疑似経験は質が落ちる。
しかし疑似経験をたくさん持っていれば、本物の経験の質が上がる。
本物の経験の質が上がれば、疑似経験の質も上がるはずだ。

普段から好奇心を持ち、その原因を考える習慣を持つと良い。
例えば、昼食を食べに入った食堂でなかなか料理が出てこない。なぜ遅いのか考える。一緒にいた弟子は、なぜそんなことを考えるのか、考えたところで料理が早く出てくる訳でもない。ムダなことだと考えたようだ。
「なぜなぜ5回の訓練だよ」と説明した(笑)

知識を教えることは簡単だが、習慣を教えるのは難しい。
Whyを教えて、何度も実践してみせるしかないだろう。


このコラムは、2012年5月28日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第259号に掲載した記事です。

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