日本の製造業の蹉跌は、量産技術を磨き続けたことに有るのではなかろうかと思う。同一規格製品を少品種大量生産し、消費者に安価に届ける。社会的に意義のある活動だった。しかし同じ物を大量に生産したため、貧乏も量産してしまった。貧乏とは社会的な貧困ではなく、造れば造るほどどんどんコストは下がるが、同業者の参入により価格も下がる。更にコスト削減努力により価格を下げようとする。この様な貧乏の螺旋階段を下って行くことになる。
以前にもご紹介したが、日本は1964年に初めてクオーツ時計を実用化し、東京オリンピックの競技用の時計に使った。そこから数十年で、最先端のクオーツ時計は、腕に巻ける大きさとなり、子供の小遣いで買える値段となった。
技術革新や量産技術の進歩によって社会に貢献出来た訳だが、その革新を起こした企業に、その社会的貢献に見合った対価が得られたかと言うとはなはだ疑問だ。量産技術により世界のシェアを拡大している間、スイスの機械時計を生産している人たちは、少量の高級時計だけを生産し続け、強固なブランドを維持している。
日本に帰国しているおりにTV番組で、燕三条の刃物メーカの爪切りの紹介を見た。
彼らの製品は、手加工で刃先を数μm磨き上げる。そのシャープな刃先で爪を切ると、バリが全くでない。その結果爪を切った後にヤスリをかける必要が無くなる。当然手加工なので、生産効率も悪いし、量産も出来ない。しかしその爪切りの価値を理解する人は、高価な値段であっても購入する。彼らは「製品を愛して使ってもらいたい。一生使ってもらいたい」と願っている。
クオーツ時計や個人用のコンピュータが起こした社会的貢献よりは小さいかも知れない。しかし先進国には既に物はあふれる様にある。もっと個人一人一人にフォーカスすることにより、ブランディングが出来るのではないだろうか?
今の日本には、まだこういう匠の技が残っていると思う。この匠の技を正しいマーケティングで活かせば、日本独自の産業を発展させることが出来るのではないだろうか?
このコラムは、2016年2月29日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第465号に掲載した記事です。
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