木鐸たらん


fēngrén(1)qǐngjiànyuē:“jūnzhīzhìwèichángjiàn。”
cóngzhějiànzhīchūyuē:“èrsān(2)huànsàngtiānxiàzhīdàojiǔtiānjiāngwéiduó(3)。”

《论语》八佾第三-24

(1)仪封人:儀の国の防人さきもり
(2)二三子:諸君。年長者が若者に呼びかける時に使う。
(3)木铎:世人に警告を発し教え導く人。(weblio参照

素読文:
封人ほうじんまみえんことをう。わく:“くんここいたるや、われいまかつまみゆることをずんばあらざるなり。”
じゅうしゃこれまみえしむ。でてわく:“さんなんうしなうことをうれえんや。てんみちきやひさし。てんまさふうもっ木鐸ぼくたくさんとす。”

解釈:
儀の防人が孔子の一行に面会を求めて言った。「この関を通られる君子には、全てお目にかかっております。ぜひお目にかかりたい」
孔子の門人たちは、孔子を防人の部屋に案内した。
面会を終えた孔子は門人に言う。「諸君。私が下野されたことに失望することはないぞ。世の道徳が地に落ちて久しいが、天は私を世の木鐸としようとしているのだ」

官位を辞し弟子と共に諸国巡遊の旅をしていた孔子らしい言葉です。