山本品管部長奮闘記(35)


 山本は屋外の喫煙所のベンチに座っていた。午前中にU350の生産ラインを確認し、小楊に説明用資料の準備を指示した。昼食を済ませオフィスに戻ってもなんとなく落ち着かず、社屋入り口横の喫煙所に出て来た。
2本目のタバコに火をつけた時、U社の社名が入ったワゴン車が入って来た。駐車スペースに止まったワゴン車から、熊苗苗と背の高い男性が降りて来るのがみえた。慌ててタバコの火を消した山本は、オフィスの入り口で二人を出迎えた。「お久しぶりです」U社社長秘書の熊苗苗がにこやかに挨拶しながら近づいてくる。「お疲れ様です」山本は扉を開いて二人を迎え入れる。会議室に二人を案内すると、すでに陳総経理と小楊が待っていた。びっくりしている山本に「先ほど熊さんから、もうじき到着します、と電話があったんです」と小楊が説明する。会議卓を見ると、U350生産のQC行程図と作業手順書のコピーが準備されている。
早速名刺交換が始まる。名刺には「電源技術係長 前多和幸」とある。名刺を受け取った小楊が素っ頓狂な声をあげる。「わぁ!いい名前ですね!」着席しながら名刺を見直した山本は「前多」という性が珍しいと思ったが、いい名前の意味がわからない。陳総経理も「おぉ!」と声を上げている。熊苗苗は微笑を浮かべて小楊に頷き返している。山本と前田だけが意味がわからず顔を見合わせた。「前多さんの名字を中国語で発音すると『銭多』と同じになりなります」と小楊が説明する。「しかも名前も合わせると『お金が多くて幸せ』になるんです」と熊苗苗も微笑を浮かべて説明する。前多も初めて聞いたようで感心している。
「珍しい名字ですね。前多さんはどちらのご出身ですか?」「石川県です。前田はたくさんいますが前多と書くのは少ないです。石川県には同性の人が少しいるようですが」

なごやかな雰囲気で打ち合わせは始まった。QC行程図に従って作業順序、品質管理項目を説明。U350改善活動に従って作業手順をどう変えたかを説明した。
前多は山本が書いたU350改善活動報告書を読んでいたが、実際の作業手順を見ながら説明を受けいちいち納得したようだった。
「何かご質問はありますか?」山本の問いかけに「よくわかりました。現場を見せていただけますか?」と前多がいう。冷めかけたコーヒーを飲み干して「では現場に行きましょう」と山本は立ち上がった。
「ちょっと仕事を片付ける」という陳総経理を残して、前多、熊苗苗、山本、小楊の4人は2階の生産現場に向かった。

前多は作業工程を一つづつ丁寧に見て回った。時折山本に質問をするが、その質問が純粋に好奇心からくる質問であり、顧客工程監査時のようなあら捜しの質問ではない。山本は気持ちよく答えていた。一通り工程を見て回り、会議室に戻る。

「工程をご案内いただきありがとうございます」と礼を言いながら、前多は鞄から小さな電源を取り出した。U350の半分ほどの大きさだ。
「今回生産をお願いする電源の技術試作品です。小型プロジェクター用なので小さくするのに苦労しました。電力消費は小さいのですが、出力電圧が高いので絶縁距離を確保する苦労しました」前多が試作電源を山本の方に差し出す。
試作電源を受け取った山本は一通り眺めて、陳総経理に渡す。「今度の電源は作りやすそうですね」山本の言葉に陳総経理も頷く。

「今回の製品は、製品企画台数が月あたり10万台です。月7千台のU350と違って量産機種なので、品質管理手順が少し厄介なのです」前多は申し訳なさそうに続ける。「まず量産試作で1000台生産していただきたいと思います」「それは全然問題ないです」陳総経理が即答する。「量産試作電源と光源を組み合わせ最終評価をします」前多は続け、申し訳なさそうに「面倒なのは1000台分の特性データを全項目、工程能力指数を計算してもらわなければなりません」
「それも問題ありません。私どもの検査装置は検査データを、HDDに記録しているので自動で工程能力指数を計算できます。自社製品は量産試作だけでなく、量産開始後も工程能力指数を継続監視しています」山本の説明に前多は安堵したようだ。
「生産開始後3ヶ月は初期流動管理をしています。毎日検査データ、直行率を前多さんにメールすることも可能です」と山本は続ける。
「それはありがたいですが、私ではなく品質保証部の担当者に送ってください」前多は苦笑しつつ「私たちは次の製品を開発しなければなりませんから」と続け、「ところで御社の『初期流動管理』はどんな手順でやるのですか?」と質問する。
山本は商品企画会議(受託製品の場合は見積もり判定会議)、設計審査、量産試作審査、出荷判定会議、初期流動管理までの一連の流れを説明する。
真剣にメモを取っている前多に「弊社の品質保証体系図に手順の説明があるので、コピーを差し上げましょうか?」と声をかける。「え!良いんですか?」と顔を上げた。確かめるように陳総経理の顔を見て山本は「問題ないです」と答える。
前多は「ありがとうございます。うちはランプが主力製品なので、電源の開発手順と合わないところがあるのです。参考にさせていただきます」
「ところで最近はLED光源のプロジェクターが増えているように思うのですが、御社のビジネスに影響はありますか?」と陳総経理が尋ねる。
一瞬眉を曇らせた前多は「ランプは製造方法だけでなく駆動回路にも工夫が必要です。これが参入障壁になっているのですが、LEDはデバイスを買ってくればおしまいですからねぇ」自嘲気味の微笑みを陳総経理に向け「今回の新商品は、LED光源のプロジェクター市場に殴り込みをかける覚悟で取り組んでいます」
陳総経理は、まずいことを聞いてしまったという顔をしていたが「それは良かった」と破顔し「ところで夕食をご一緒しようと準備していますが、いかがですか?」と尋ねる。前多は隣の熊苗苗の顔を見る。
「すみません。今日は早く帰らないといけないので」と熊苗苗が答える。
「では、早めに切り上げるということで」陳は食い下がる。
「申し訳ないです。今日は夫が出張のため、私が娘を学校に迎えに行くことになってるのです」「えっ!熊さんお嬢さんがいるのですか?」山本は思わず声を出していた。隣にいる小楊が下を向いて笑いを堪えているのが視界の端に見え山本は危うく理性を保った。


このコラムは、2020年3月27日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第959号に掲載した記事です。

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