続・道具に神が宿る


 メルマガ99号の「道具に神が宿る」に読者様からメッセージをいただいた。

S様のメッセージ

今回の「道具に神が宿る」という理念があるから「モノを造る道具が作れる」と、つなげるのはいささかの論理の飛躍を感じますね。
「手にする道具」だからこそ道具に対しての愛着も沸くし、それを捨てるにも供養のひとつもしたくなるものです。しかし、近年のモノづくりは数値制御で成り立っている側面があります。そこには、道具にこだわった昔の職人気質は存在しません。
 当社も事業部単位で仕事をしており、その事業部のひとつに自動旋盤部門がありますが、過去のすべてがカム等のメカで構成されていたものと、近年のNC化された機械とでは、現場における機械に対する愛着がまったく違います。
旋盤のバイト研磨方法や取り付け方ひとつでまったく品質の違うものが出来上がった時代と、機外のツールセッターでセットすれば、機械がATCでツールチェンジして加工する。現場のオペレーターに求められるのは「刃物を取り付けるコツ」などではなく、NCプログラムを短時間で組める能力です。
「俺の若い頃は…」という時代です。そこには、機械装置に愛着が生まれる。道具を愛する概念は存在しません。

本当はS様からいただいたメッセージはもっと長文であり、一回ではご紹介しきれない。一部を抜き出した。

S様のおっしゃるとおり、加工機のNC化により一定レベルのモノ造り能力は「大衆化」してしまったといって良いだろう。機械を買えば一定レベルのモノは作れる。これが今の中国工場のレベルではないだろうか?
 私が申し上げたかったのは、更にその上を行くモノ造りだ。NC加工機を使っても、最後は刃具を研げる職人の腕で決まる。
 例えば砲丸投げのタマ。オリンピック砲丸投げ選手が使っているタマはほぼ100%北関東の町工場で造られたものだそうだ。TVで見たが、町工場の親方が旋盤を使って手で削りだしてる。
「ほらここでちょっと手ごたえが変わるでしょ」と言いながら旋盤のハンドルを回していた。
 オリンピックアスリートには、ただの鉄のタマから職人の手肌のぬくもりが伝わるのではないだろうか。それがアスリートの絶大なる支持を得ている理由だと思う。

 こういうモノ造りのことを皆さんにお伝えしたかった。

もちろん規格大量生産製品でこんなことはできない。一つずつ手作りできる製品だからできることだ。しかし規格大量生産品がどんどん売れる時代はもう過去のものだ。世の中にはすでにモノがあふれている。規格大量生産品は安い値段でしか売れない。大量に生産しても売れ残るのが落ちだ。
 規格品から顧客の価値観に重点を置いたモノ造りに方向転換をしなければなるまい。それにはNC加工ではなく高品質・高付加価値のモノ造りが必要だ。その基本となるものが「道具に神が宿る」という日本的精神なのではないだろうか。

どうも今回も飛躍しすぎたようだ(笑)


このコラムは、2009年6月1日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第100号に掲載した記事です。

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