続々・道具に神が宿る


 99号の「道具に神が宿る」に対するS様のメッセージから引き続き話題を広げたいと思う。

私は日本人の勤勉さの根底に「道具に神が宿る」という精神性があると考えている。道具に感謝する、道具を大事にする気持ちが日本人の勤勉さの基本であり、工業立国を支えた精神性だと考えている。

中国の生産現場を見ると残念ながらそういう気質は感じられない。
ペンチをハンマー代わりにする.エアードライバーをリュータの代わりにしてネジ穴周りの塗装を剥がす。こんなことを平気でやる。

仕上がりだけを見ても道具に対する愛情・尊敬の念が感じられない。
私の住んでいるアパートの扉についている蝶番を止めるネジは2/3がネジ頭のプラス溝が潰れてしまっている。

同じようにNC加工機を使っても、日本のように機械に名前をつけて可愛がるという発想は世界的に見てもまれなのではないだろうか?愛情を持った扱いが、徹底的なメインテナンスや加工機を自らの工夫で進化させようという意欲につながると考えている。

欧米では「一神教」をベースとした宗教観により機械を擬人化する事が宗教的忌避となる。中国にも道具に対する愛着は長い歴史の中にあったはずだと思う。しかし現代中国は職人の腕を育てるよりは新しい加工機を買うと言う即効性重視に陥っている。

私はNC加工機などの設備も「道具」と位置づけている。定義の違いを考えると、実はS様の考えと私の考えには共通性があるのではないだろうか。

☆S様のメッセージ

ちなみに、上記のマシニング加工機などマザーマシンと呼ばれる加工機も日本は物真似から始めました。弊社の自動旋盤も、今は日本製が世界の主流ですが、50年前はスイスのトルノス社のコピーでした。
 自動車も然り。その他の家電製品類も舶来と呼んで輸入品が最高だといわれた時代もありました。でも工作機械でも自動車産業でも、コピーから創めた産業が、世界一と呼ばれるまでになった。
 そこにあるものは、職人気質ではなく、「先生に追いつきたい!」との日本人の勤勉性だったと思います。
その日本人の特性が裏目に出た産業が時計産業ではないでしょうか?
生産数量は世界一!機能だって、時を刻むという性能だって世界一です。SEIKO,CITIZEN,CASIO…これらのメーカーに勝る海外企業はありません。
でも、クォーツでもなく、時を刻む精度もそれほどでもないスイス製のほうが、今でも相変わらず高級品です。
 安くて良いものを大量に生産する。そんな「効率的モノづくり」を成熟させすぎた結果でしょうか…
今の時代は半導体産業と民生商品では携帯電話が、そんな道を歩んでいるように小生には見えます。

  • 安くするために、大量生産を続ける
  • 不良品を防ぐために、標準化された生産ライン=誰でも同じ品質=職人の排除
  • ハードウエアではなくソフトウエアで機能を構成する。=簡単なモノ造り

そんな構成の産業は、いずれ中国に持って行かれるでしょう。そうなった時に、時計産業のように高付加価値のモノづくりをどのように見出すか?
日本企業の命題は非常に大きいと思います。

「効率的モノ造り」の功罪

セイコーは世界で初のクウォーツ腕時計を商品化している。
これも物真似と揶揄されるかもしれないが、他の発明品を1/1000の大きさにするのも一つの発明だ。
 ところがS様がおっしゃるとおり、廉価品を大量生産したところに今日本が弱体化してしまった遠因がある。もちろん当時はモノが行き渡ってなく、廉価なモノを大量に要求している市場があったので、当時の考え方が間違っていたとは思わない。
 生産の効率と品質を上げどんどんコストダウンをしてモノ造りをした。その結果モノと一緒に「貧乏」も量産してしまった。

今はマーケットのあり方が変わってしまった。
規格大量生産品は作れば作るほど「貧乏」になる。
顧客が欲しがるモノを少しだけ造る時代だ。
スイスの高級時計路線はこれを頑なに守っているのではないだろうか。

コストダウンばかり考えるのではなく、顧客が価値を感じるところには思い切ってコストをかけてゆく、という発想の転換が必要だと考えている。


このコラムは、2009年6月7日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第101号に掲載した記事です。

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