ジャック・ウェルチは「過去は道しるべにはならない」と言っている.
参考書籍:「ウェルチ―リーダーシップ・31の秘訣」
過ぎ去ってしまった事はもう変える事は出来ない.正しかろうと,間違っていようと,もうどうにもならない.過去から学ぶ事はあるが,大して役には立たない.それよりも,明日を変えるために今日を懸命に生きる事が大切だ.
朝日新聞の電子版に,「第8回中国人の日本語作文コンクール」で最優秀賞を取った湖北大学外国語学院日本語学科4年の李欣晨さんの,文章が出ていた.ちょっと長いが,全文を引用する.
幼い頃から夜空に対して特別な感情を抱いている。私の心に焼き付いているのは、夜空の下で昔の物語を話してくれた、穏やかで優しい顔つきの祖父である。物語の細部はもうはっきり覚えていないが、主人公が苦難辛苦の後、ついに幸せを手に入れた、と結末を語る時の祖父の口元に浮かぶかすかなほほ笑みはまだ記憶に新しい。
月日が流れ、幼い私も成長するにつれて様々なことが分かるようになった。祖父はもともと軍人であり、朝鮮戦争に出たことや、功績によって勲章を与えられたことも知ったのである。しかし、日ごろ優しく穏やかな祖父と、生臭い戦争とはどうしてもつながらなかった。
中学生の時のある夏休み、腰の持病が再発した祖父を見舞いに行った。マッサージをしてあげた時、背中の目立つ傷痕が目に入ったのである。「おじいさん、背中の傷痕はずいぶんひどいね」と思わず言った。「ああ、それは戦争の時、炸裂(さくれつ)した砲弾の破片に傷つけられたんだよ」と祖父は答えた。「痛かったでしょう」と私が言うと、「ま、あの時はこれぐらいの傷は気にもしなかったよ」と祖父は言ったのである。聞きたいことがたくさん湧いてきたが、言い出せなかった。それは苦しい記憶を思い出させたくないと思ったからである。
その後、祖父から戦争の話を聞く機会があった。さっきまでぴんぴんしていた友人が、あっという間に目の前で亡くなったことや、すぐそばで砲弾が炸裂したことや、銃弾の雨あられを冒して進んだことなどを語ってくれた。戦争の残酷さや恐ろしさが身に沁(し)みる。安心して眠ることさえできず、毎日不安と恐怖にさらされていたそうだ。いつ、どこで自分の命を失うかもわからない。それでも、祖父は戦い抜いた。そして、祖父は話の最後にこう言った。「今のような生活を過ごせるのは決して容易なことではない。大切に
すべきだ」と。祖父の一言は私の胸に深く響いた。世界の長い歴史において、戦争はつねに消そうにも消せない影としてある。戦争のせいで、無辜(むこ)の民は辛酸をなめ尽くし、飢餓や病魔にたえて、希望の見えない未来に臨んだ。ある雑誌でこんな話を知った。第2次世界大戦が終結して間もなく、アメリカの婦人たちがドイツ兵士の墓に花を捧げたのである。どうしてかつての敵国の兵士にそんなことをするのかと尋ねたら、「彼らも私たちのような母の子です」と答えた。別れの苦しみに耐えて、息子を戦場に送った母親たちは、前線にいる息子の安否を気遣ってやまなかった。だが、最後に待ちに待った団欒(だんらん)の代わりに、戦死の知らせが届いたのである。そういう苦痛を同じく味わった母親たちだからこそ、敵味方の分け隔てなく生命の貴重さが感じ取れるのだろう。
中日両国間にもかつて戦争があった。そのせいか、両国民は先入観をもってお互いに悪いレッテルを張り合っている。このようなマイナスの雰囲気に直面する度に、祖父の一言が常に思い出される。「今の生活を大切にすべきだ」。ごく平凡な一言だが、そこに含まれた重みをつくづく感じさせる。人間というものは欲張りなもので、現在享受している、身の回りに溢(あふれ)れている幸せを軽んじがちである。過去の戦争で無数の人々が命を投げ出したのは、「平和な生活を過ごすために」という願いのためだったはずだ。現在、この願いは中日両国ではすでに実現されている。それなのに、過去の影に縛られて
互いに罵(ののし)り合い、頭上の明るい光に気づかないとは、なんと嘆かわしいことであろうか。それより、憂えなく、昇った朝日の光を浴びることや、家族団欒で食事することなどの日常生活の潤いに感謝すべきだ。地下で永遠の眠りにつく犠牲者が望んだのは、戦争から悪いレッテルを張り合うことではないだろう。
この作文コンクールを主催している日本僑報社から,
「中国人がいつも大声で喋るのはなんでなのか?」という作品集が出ている.
このコラムは、2013年3月18日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第301号に掲載した記事です。
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