努力とは


 「努力」と言う言葉について考えた事はおありだろうか?
「努力します!」と決意を表明したり、「努力しています」と現状報告を受けたり、したりすることがあると思う。この時の努力ってなんだろうと考えた。
言葉を曖昧なまま使っていると、部下にもっと努力をする様に要求しても、期待通りの行動をひき出せない事が有る。「努力」と言う言葉の重さや深さをきちんと認識し、共有する事が必要だろう。

木下晴弘さんは「涙の数だけ大きくなれる」の中でこう言っている。
“努力とは、当たり前の事を、当たり前とは思えない情熱を傾けて行う事。”

「涙の数だけ大きくなれる」木下晴弘著

つまりちょっと残業したくらいでは「努力」とは認められない。
狂気を感じる程の情熱が伴わなければ駄目だ。
「寝食を忘れて」とか「時間を忘れる」と言う境地に到達するのが努力だ。

しかし「成果主義」は成果に着目するあまり、「努力」と言うプロセスを軽視しがちだ。努力が必ず成果につながれば良いが、往々にして「努力と成果には時差が有る」by野崎美夫

励ま詩」野崎美夫著

部下の「努力」に対するモチベーションを上げてやらなければならない。
成果によりモチベーションを上げるのは簡単だ。しかし「成果」は必ずしも本人がコントロール出来ない。まだ成果が出ていなくても「成長」をキーワードとし成長に承認を与える。成長の先には成果が有るはずだ。「成果」一辺倒のマネジメントよりは容易に部下のモチベーションをマネジメント出来る。

しかし、仕事の中には成長とは無関係でも努力してもらわなければならない事もある。「その仕事僕のキャリアパスの中でどういう位置付けになりますか?」などと言う質問にいちいち答えなければならなくなる(笑)

ベストな方法は、本人が「努力を楽しむ」様に仕向ける事だ。
フロー理論実践指導者・辻秀一先生は「一生懸命を楽しむ」と言っておられる。

「禅脳思考」辻秀一著

スポーツ選手がストイックに練習に取り組み努力をするのは、その先にある結果に対する期待が有るからだろう。しかし、結果などそう簡単には手に入らない。結果が出せる様な選手は、努力そのものを楽しむことができるのだ。

子供だった頃、近所の空き地でただひたすら走る事が楽しかった。
学生だった頃、同級生や先輩と議論する事がただ楽しかった。
古女房が恋人だった頃、ただ一緒にいるだけで楽しかった。
そんな「一生懸命」は誰にでも経験が有るだろう。

「努力を楽しむ」はハードルが高くても「一生懸命を楽しむ」事は可能だろう。


このコラムは、2015年5月11日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第423号に掲載した記事です。

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