新常用漢字


新常用漢字、12年度から指導=中学で読み、高校で書き―文科省

 文化審議会が常用漢字表に追加を答申した196字について、文部科学省の専門家会議は29日、2012年度から中学で読み、高校で書きの指導を始めることを決めた。196字が追加された漢字表は11月にも告示される
見通しで、同省は学習指導要領の一部改定作業に入る。

 同省によると、小学校では当面、196字の指導はしない。読みは中学の各学年に割り振り、高校では主な漢字を書けるように指導する。

 文化審議会は6月、文科相への答申で196字のうち「鬱(うつ)」など画数の多い字を念頭に「すべてを手書きする必要はない」としていた。

 専門家会議はこれを受け、書きの指導を必要としない字を明示することも検討したが、すべての高校に一律の基準を示すのは適当でないとして見送った。

 高校、大学入試では、新常用漢字を中学、高校の1年生時から学んだ生徒が受験する15年度試験から出題できることにした。また、大学入試で手書きが難しい漢字を書かせる問題が出されることがないよう、配慮を求めた。 

 

(asahi.comより)

 日本の常用漢字が1945文字から2136文字に改定したのを受け、文部科学省が指導方針を出した。

調査によると、10代の若者は「俺(おれ)」や「鬱(うつ)」の追加で話題の文字を7割以上の人が知らない。常用漢字表の存在を知らない者が6割もあるという。

文部科学省の指導方針は、えらく甘いように思えるがいかだろうか。
手書きでかけなくても読めればOKという方針は、PCの普及により文書作成をPCに頼っていることを背景としているのであろう。

しかし子供たちが、漢字を覚える負担から開放される時間で、何を習得すべきか、明確にしておく必要がある。「ゆとり教育」の時のように、その背景にある意図が明確に現場に伝わっていなければ、施策は有効に機能しない。

私なりに「ゆとり教育」まで遡って考えて見た。記憶偏重だった教育による画一な人材よりは、豊かな感性、思考能力を持った人材を多く育てたい、という意向だと理解している。

日本の戦後教育は、画一的でそこそこ優秀な人材が製造現場で「和」を持って仕事をするのに、有効だったのだろう。しかし時代は変わり規格量産品の生産では、国の経済を支え、国民の生活を豊かにすることができなくなった。
多様性、変化の時代には、一人ひとりがより創造的な仕事が出来なければならない。
そんな時代的要請が「ゆとり教育」の背景にあると理解している。

しかし「ゆとり教育」は、学力の低下しか生まなかったのではないだろうか。その反省の一部として今回の196文字の追加があるのかもしれない。

ところで、中国を考えてみると、漢字は8000文字あるといわれ、4、5000位の漢字を覚えていないと生活にも支障をきたすだろう。ひらがな・カタカナがある日本と違い、小学一年生でもいきなり教科書は漢字だけだ。

50文字を覚えれば、教科書を読める日本の小学生一年生と比較すれば大いなるハンディだ。まずは漢字を覚えてしまわなければ、次がない。

「おねえさんは、りんごをひとつもっていました。おとうとは、りんごふたつもっています。ぜんぶでいくつあるでしょう」という足し算の問題は、中国の教科書では「姐姐有一個苹果。弟弟有二個苹果。一共多少?」となる。
漢字が読めなければ算数も勉強できない。

そのため中国の教育は、記憶能力に大きく偏っているように思う。
中国人の若者を見ていて感心するのは、その記憶力の良さだ。
11桁の電話番号も難なく暗記している。日本人の様に3桁とか4桁に区切って覚えるようなこともしない。

しかし残念ながら、全体的に物事を把握したり、論理的に分析、説明する力は見劣りがする。創造的な文章を作るよりは、記憶の中から成語を選び出す方が得意だ。もちろん13億人もいるので、優れた人もいるが、平均的に考えると記憶力偏重といえるだろう。

だから駄目なんだ、と嘆いている場合ではない。
足りないところは、鍛えればよいだけだ。


このコラムは、2010年10月11日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第174号に掲載した記事です。

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