王孙贾(1)问曰:“与其媚(2)于奥(3),宁媚于竈(4),何谓也?”
子曰:“不然,获罪于天,无所祷也。”
《论语》八佾第三-13
(1)王孙贾:衛の霊公の大夫
(2)媚:機嫌を取る
(3)奥:家の最も良い場所南西の角に祀る神
(4)竈:かまど
素読文:
王孫賈、問いて曰く:“其の奥に媚びんよりは、寧ろ竈に媚よ、とは何の謂ぞや。”
子曰く:“然らず、罪を天に獲れば、禱る所無きなり。”
解釈:
王孫賈が孔子に問うた“奥の神より灶の神を大切にせよとはどういう意味でしょうか?”
孔子曰く“そうではない。天に背く様なことをすれば祈っても無駄だ。”
衛の霊公は孔子の考えを政治に取り入れようとはせず、その妃・南子の乱倫な生活に嫌気がさし、孔子は魯に残してきた弟子たちの元に帰ろうと考えていました(帰らんか、帰らんか)。そんな折に王孫賈に質問され、思わず辛辣は言葉が出てしまったのかもしれません。衛の国ではどこの神に祈っても未来はないだろうと考えていたのでしょう。
ちなみに日本でも家の中に複数の神がいると考える風習があります。竈門の神もいますが、日本人が大切に考えているのはトイレの神様ではないでしょうか?