知識より知性


 今週のお題「知識より知性」は外山滋比古氏のコラムからいただいた。
外山氏は私の父母と同年代。94歳にして知的生活を送っておられる。「乱読のセレンディピティ」を読んで以来外山ファンとなった(笑)

「乱読のセレンディピティ」外山 滋比古著

外山氏によると「知識」は記憶であり、「知性」は創造だ。
学ぶということは、知識を言われた通りに記憶することであり、モノマネである。従って学ぶということは創造性を殺すことになる。
知識を詰め込む学習は知的生活ではない、というのが外山氏の主張だ。

知識を学ぶことを否定するつもりはない。しかし知識だけを溜め込んでも頭でっかちになるだけで、役には立たない。知識を活用することによって価値が生まれる。それが創造であり、創造を行う人が知性を備えた人だと思う。

論語の最初のくだりはこうだ。
子曰く、 学びて時に之を習ふ。亦よろこばしからずや。

普通の論語読みは『学而時習之,不亦説乎』を学んだことを折に触れ復習する、喜ばしいことだ。と解釈する。

しかし安岡正篤師は『習』を実践と解釈している。

参考:「論語の活学―人間学講話」安岡正篤著

学んだことを何度復習しても「記憶」にとどまる。
学んだことを実践することにより「創造」が生まれる。

記憶より創造、知識より知性に加えて「知識より実践」と言わせていただく。


このコラムは、2018年3月19日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第642号に掲載した記事です。

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