私は「深セン和僑会」という勉強会にほぼ毎月参加している。
3月はJ&G HRアドバイザリー社長の篠崎正芳氏から『グローバル人材は、「違い」を「覚える」のではなく「違い」に「ピン!」と来て行動する!』というテーマで講演をいただいた。
その中で高コンテキストと低コンテキストという話をいただいた。コンテキストというのは「文脈」と訳される事があるが、「共通認識」という意味で捉えて良いだろう。
日本の常識は、高コンテキスト社会に支えられた常識であり、世界の非常識だ。
日本は単一民族の国家であり(正確に言えば、アイヌ民族や沖縄民族を数えるべきかもしれないが)「均一」な社会だ。そのため「阿吽の呼吸」が通じ、多くを語らないのが美徳とされてきた。
一方世界の他の国家は「多様性」に基づいた社会でありコミュニケーションがうまく行われないことを前提としている。そのため低コンテキストな社会になっている。
例えば中国の工場でローカルリーダに指導をすると、必ず言われたことを反復してくる。
まだ中国語が良く分からなかったころは、教えたことに色々いちゃもんをつけているのだと感じていた。何故教えたことを素直に受け入れないのか不思議だった。良く聞いてみるとただこちらの言っていることを反復していただけなのだ。
実はこれは外国人対中国人のコミュニケーションだけではない。
中国人同士の会話に聞き耳を立てていても、同じように相手の言っていることをお互いに確認しあいながら会話が進んでいる。
例えば、日本人同士なら食後「アレ取って」「ハイ」と爪楊枝が出てくる。
中国人同士なら「アレ取って」「アレって爪楊枝のことね。ハイ」となる。
これは中国語という言語がそうできているわけではなく、多様性社会の中に生きている人たちが必然的に身につけなければいけない処世術なのだろう。
世界の主流は「多様性」である。我々日本人がちょっと気を利かせるべきなのだと思う。今時日本国内でも若い人を「宇宙人」と呼んだりして、何を考えているのか分からないと嘆いているので尚更だ。
しかしこの低コンテキスト性は、考えようによっては非常に便利だ。
きちんと時間をかけて意思疎通を図る。中国人たちは元々それができている。我々日本人が、変わらなければいけない。
今日から「○○君。アレどうなっている?」というのは禁句にしよう。
このコラムは、2009年3月16日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第89号に掲載した記事です。
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