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民をあまねく仁と化す

yuē:“yǒuwángzhěshì*érhòurén。”

《论语》 子路第十三-12

(注)世:一世代、30年ほどをさす。

素読文:
子曰わく、王者おうじゃ有るも、かならにしてのちに仁ならん。

解釈:
たとえ聖人君主と言い得る真の統治者が現われても、少なくとも一世代を経なければ、民をあまねく仁者と化すことはできない。

人々が良き習慣を身につけるためには、親が良い習慣を身につけその子に良い習慣を躾けなければなりません。良い習慣が定着するためには二世代必要なのではないでしょうか?

東日本大震災の折に暴動・略奪もなく人々が整然と助け合う姿を見て、某国の指導者は「我が国の国民は50年経っても日本人のようには振る舞えない」と嘆いたそうです。指導者としてこれではいけません。「50年かかってっでも国民をあまねく仁者と化す」と決意すべきでしょう。

一方で、良い習慣が乱れるのは3年もあれば十分のように思われます。

剛毅木訥

yuē:“gāng(1)(2)(3)jìnrén。”

《论语》子路第十三-27

(1)毅:guǒgǎn:勇敢で決断力がある。
(2)木:质朴zhìpǔ:素朴な、質素な
(3)yánchídùn:口数が少ない。

素読文:
子曰わく、ごうぼくとつは仁に近し。

解釈:
物事に屈しない、勇敢で決断力がある、飾り気がない、言葉少ない、そういう人が仁に近い。

剛毅つよきが故に憂えず、朴訥としていられる。ということでしょう。
気になるところは『剛毅木訥』が「仁」だとは言っていないところです。「仁に近し」としか言っていない。『剛毅木訥』だけでは足りないのでしょう。

3回にわたって『仁』について考えて見ました。
『孝悌』:親や目上の人に対する思いやり。
『巧言令色』:相手を立てるためというよりは、自己の利益を中心に考える利己心から生まれるモノでしょう。
『仁者不忧』:仁の徳があれば、あれこれ憂えることはない。

この中で『孝悌』は『剛毅木訥』に含まれない様な気がします。

『剛毅木訥』に『孝悌』を加えると『仁』になるのでしょうか。まだまだ道は遠い様です。