先週のメールマガジンで、セイコーウオッチ中国の董事長・吉村等氏の対談記事について書かせていただいた。
100年前に中国に進出したセイコーは、今の中国を想像することも出来なかったに違いない。日中戦争があり、共産革命があった。中国は、100年前とは全く違う国になったと言ってもいいだろう。
よく「他人と過去は変えられないが、自分と未来は変えられる」と人はいう。
しかし上記のような中国の変化は想像すらできなかったのだから「未来は変えられる」というのは、疑問が残る。
また日本は少子高齢化が進んでいる。
「未来の年表」という書籍によると、2020年には女性の過半数は50代となり、少子化に拍車がかかる。40年後には日本の人口は9,000万人を割るそうだ。
参考:「未来の年表」河合雅司著
この未来を変えることができるのだろうか?
個人の力では全く不可能だろう。国を挙げて経済環境を改善し「明日はきっと良くなる」と国民全員が実感できなければ無理だろう。ひょっとすると日本は人口減少の帰還不能点を越えてしまっているのかもしれない。とすれば、人口減少という未来は変えられないことになる。
では「他人と過去は変えられないが、自分と未来は変えられる」は根拠のない希望に基づく戯言なのだろうか?
心配性ではあるが楽観的であるという、矛盾した性格の私は、他人も未来も「変えられる」と思っている。しかしちょっと言葉を補う必要はある。
「他人は変えられない。しかし自分が変われば他人に対する態度が変わり、その結果他人の行動が変わる」
「未来は変えられない。しかし自分が変われば未来に対する準備が変わり、その結果未来の意味が変わる」
「能力も意欲もない部下」というのは、上司がそう認識し、そう定義しただけだ。
部下に対する認識・定義を「教えがいのある部下」とすれば、一生懸命指導し、部下の能力と意欲を高めようとする。その結果、部下は上司を信頼し貢献してくれることになる。
「人口減少」という日本の未来は、帰還不能点を越えてしまえば、変える事は出来ない。しかし人口減少の影響を予測すれば、新規事業やサービスを準備する事が出来る。そうすれば人口減少という灰色の未来は、光り輝く希望の未来に変わる。
他人も未来も変わっていない。しかし自分が変われば、変わらない他人や未来の自分に対する意味が変わる。その結果変わらないはずの他人や未来が変わる。
「他人を変える事ができる」と考えることは「不遜」だ。
しかし「他人は変わる事ができる」と考えることは「敬意」であり「尊重」だ。
このコラムは、2017年9月8日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】560号に掲載した記事を加筆修正したものです。
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